現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. BOOK
  4. 特集
  5. 記事

「昭和の鉄道記事」が凄い、おもしろい(2)

[発売]2010年11月30日

写真:小林一三が創業した阪急グループ(左)。2006年、大阪−神戸間で競合していた大手私鉄の阪神電鉄(右)と経営統合した。写真は両電鉄の列車が顔を合わせる神戸高速鉄道の高速神戸駅拡大小林一三が創業した阪急グループ(左)。2006年、大阪−神戸間で競合していた大手私鉄の阪神電鉄(右)と経営統合した。写真は両電鉄の列車が顔を合わせる神戸高速鉄道の高速神戸駅

写真:「マルーン」と呼ばれる独特の落ち着いた色合いの列車で人気の高い阪急電鉄。小林一三氏は鉄道のみならず沿線の宅地開発や歌劇団、デパート、遊園地の経営など事業を次々拡大していった拡大「マルーン」と呼ばれる独特の落ち着いた色合いの列車で人気の高い阪急電鉄。小林一三氏は鉄道のみならず沿線の宅地開発や歌劇団、デパート、遊園地の経営など事業を次々拡大していった

写真:東海道新幹線の岐阜羽島駅前にそびえ立つ初代自民党副総裁・大野伴睦夫妻の銅像。羽島に新幹線駅が決まるにあたり「政治力」を働かせたとうわさされており、当時の「週刊朝日」では彼に直撃インタビューを試みている拡大東海道新幹線の岐阜羽島駅前にそびえ立つ初代自民党副総裁・大野伴睦夫妻の銅像。羽島に新幹線駅が決まるにあたり「政治力」を働かせたとうわさされており、当時の「週刊朝日」では彼に直撃インタビューを試みている

写真:東急グループ(写真は東急大井町線)を作り上げた五島慶太は小林一三にすすめられて鉄道経営を始めた、いわば「弟子」にあたるわけだ。沿線宅地造成やデパート、遊園地経営など、その拡大方針は阪急グループとよく似ている拡大東急グループ(写真は東急大井町線)を作り上げた五島慶太は小林一三にすすめられて鉄道経営を始めた、いわば「弟子」にあたるわけだ。沿線宅地造成やデパート、遊園地経営など、その拡大方針は阪急グループとよく似ている

写真:1949(昭和24)年、当時の国鉄総裁(初代)下山定則氏が礫死体となって発見された「下山事件」の現場(東京都足立区の国鉄常磐線)。今も自殺、他殺の両説が残る下山氏は、鉄道マンとしてどんな夢を抱いていたのだろうか拡大1949(昭和24)年、当時の国鉄総裁(初代)下山定則氏が礫死体となって発見された「下山事件」の現場(東京都足立区の国鉄常磐線)。今も自殺、他殺の両説が残る下山氏は、鉄道マンとしてどんな夢を抱いていたのだろうか

表紙画像 出版社:朝日新聞出版 価格:¥ 1,680

AERAムック「昭和の鉄道と旅」

 復刻記事特集の2つ目は、昭和7年から40年までの、週刊朝日やアサヒグラフなどの鉄道特集の記事、合計10本の完全再録です。その一部をご紹介しましょう。

 戦後日本史を語るには欠かせない「国鉄三大事件」。その一つである「下山事件」(昭和24年)で非業の死を遂げた下山定則初代国鉄総裁が、一技師時代に出席していた座談会「鉄道の将来」(週刊朝日 昭和17年10月11日号)が掲載されています。謎の死の7年前、当時「技術院技師」という肩書きの下山が、戦時下という状況を踏まえながら鉄道輸送の将来像を語っています。飛行機の需要拡大など、意外と的中している「予言」が読みどころです。

 また、「東西私鉄くらべ 阪急と東急」(週刊朝日 昭和31年2月26日号)では、昭和の二大鉄道王、阪急・小林一三と東急・五島慶太の両創始者が揃い踏み。ともに最晩年時のインタビューを読み比べられます。小林氏が抱いていた夢の鉄道事業とは、五島氏が構想していた通業界再編図とは… 興味深い肉声が満載です。

「タンボの中の"政治駅"」(昭和34年12月6日号)では、東海道新幹線開業前夜の「岐阜羽島駅」設立騒動の裏側を詳細にルポ。もともと9駅だった新幹線駅に急きょ追加されたために「政治駅」と非難されてきた岐阜羽島駅ですが、その決定の裏側にはどんな動きがあったのか。地元や国鉄、中央政界関係者の証言をもとに迫っています。今も岐阜羽島駅前に銅像が建つ超大物政治家、大野伴睦氏への直撃インタビューも掲載。九州新幹線などの整備新幹線建設が進むたび話題に上る「政治駅」。その元祖とも言える岐阜羽島問題を扱った本記事は、今読んでも色あせない面白さです。

 アサヒグラフの昭和23年3月17日号からは「女だけの車両にて」。平成に入ってからの産物と思われがちな女性専用車両ですが、実は終戦直後にもあったんです。(さらに言えば、日本初の女性専用車両は明治時代に生まれています) 中央線に設けられていた女性、子ども専用車両を、新劇女優として大活躍した杉村春子氏が同乗し、ルポしています。レディーファーストの気風を運んできた専用車両に対する杉村氏の意外な評価とは…… 本文でぜひともお確かめください。

 同じくアサヒグラフ昭和30年6月1日号からは、「白切符のお客さま」。白切符とは、昭和35年を最後に廃止された旧一等車に乗車するための切符。現在のグリーン車が二等だったころの一等車というのはどれほど華やかなものだったのか、どういう人たちが利用していたのか、高価なため利用客減に悩んでいたころのルポでその一端か垣間見えます。乗客の半数は、外国人だったと言います。

 最後にご紹介するのは「科学朝日」昭和27年8月号の「交通機関の便所」。列車のトイレはかつて「垂れ流し」だったことを覚えていらっしゃいますか? その垂れ流された「モノ」はいったい、どこまで飛び散っていたのでしょうか。赤インキを使って行われた実験の結果が記事に掲載されています。

「昭和の鉄道記事」が凄い、おもしろい(1)

検索フォーム
キーワード: