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光市事件裁判を考える [編]現代人文社編集部

[掲載]週刊朝日2008年05月09日号
[評者]永江朗

■このままではワイドショーが裁判を左右しかねない

 4月22日、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決があった。死刑という判決については措くとして、その一週間前に「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会が、一連のテレビ報道について「感情的に制作され、公正性・正確性・公平性の原則を逸脱している」などとする意見を発表していることに注目したい。

 朝日新聞の記事によると、意見書が指摘した問題点は多数ある。刑事裁判のしくみや弁護団・検察官の役割を十分に認識せずに報道していること。被害者家族の会見映像を多く使って、同情・共感を強く訴えていること。被告人がどういう人間かを伝えず、発言を表面的に批判・反発していること等々。

 ようするに一連の報道は世論を煽り立て、操作しているというのだ。裁判員制度がはじまったら、ワイドショーが裁判を左右することになりかねない。また、裁判への影響を口実に、国家が報道を規制することにもなりかねない。

 「光市事件」というよりも、「光市事件報道事件」と呼ぶべきかもしれない。

『光市事件裁判を考える』は法学者や光市事件弁護団による座談会や、作家・ジャーナリストの評論、弁護団によるQ&Aからなる。なかでもメディアの問題を鋭く突いているのが綿井健陽「世の中に伝えるべき対象は『被害者・遺族』だけなのか」である。傍聴した公判の印象とテレビ報道との落差にはじまり、テレビ報道には事実と異なる部分があることや、加害者/被害者に二分して被害者に同情・同調することだけをよしとする姿勢に疑問を投げかける。

 この報道事件について見ていると、結局のところテレビ局は被害者遺族の味方なのではなく、視聴率を稼ぐために事件を(そして被害者と遺族、加害者や弁護団を)利用しているだけではないかと思えてくる。

 それにしても、今回の差し戻し審で、真実はどこまで明らかになったのだろうか。過熱した報道がなくても同じ結果だったろうか。

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