[掲載]週刊朝日2009年3月13日号
■お水取りは懺悔の儀式だった
奈良、東大寺はお水取りの季節である。お水取りは3月12日の、二月堂の水取りの儀式だけを指すのではない。水取りはクライマックスには違いないが、あくまで一連の法会(ほうえ)の一部。3月1日からはじまる二七日(にしちにち)(14日間)の法会全体がお水取りである。
なんていうことを私は、佐藤道子『東大寺 お水取り』を読むまで知らなかった。たんに12日の夜に二月堂下の井戸(閼伽井屋(あかいのや)の井戸)から水を汲み上げるだけなのかと思っていた。由来も意味も何にも知らなかった。「お水取り」は通称で、正式には「修二会(しゅにえ)」というなんて知ってました?
驚くことばかりである。まず、1250年以上も続いているという事実に驚く。天平勝宝4年(752年)に、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が始めたと伝えられる(著者は学者らしく「当否両説があって確定しておりません」と書いている)。平重衡(しげひら)が南都を焼き打ちしたときも(治承4年─1180年)、途切れることがなかったというのだから大したものだ。
で、法会の目的なのだが、うんと簡単にいえば、五穀豊穰・豊年満作の祈願である。年もあらたまったし、そろそろ春だし、というこの時期ならではのお祈り。だが、ただ祈ればいいとは昔の人は考えなかった。お願いするからには、自分の悪いところは懺悔しなければならない。反省し、悔い改め、清い心になってこそ、仏様も願いを聞き入れてくれるだろう。昔の人は謙虚だったし、真剣だったのである。
本書には二七日(繰り返すが2かける7の14日間)の法会の所作やお経の意味までとても細かく分かりやすく書いてあるが、そのほとんどが懺悔についやされていることがわかる。ハードな儀式を一日6回もやらなきゃならない。もちろんお坊さんは自分のためにではなく、私たち衆生のために懺悔して祈るのである。
私は神社仏閣教会その他いろんなところで祈るが、これからはお願いする前にまず悔い改めるようにしよう。
著者:佐藤 道子
出版社:朝日新聞出版 価格:¥ 1,365
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