取材で使った録音テープを聞き返していると、げんなりする。あの。その。ええと。私の口からはあいまいな言葉がひんぱんに発せられ、聞いていて冷や汗がでる。
そうした「あの」「ええと」などの間投詞や、「はい」「さあ」など応答詞を含む感動詞を、ただ否定的にとらえず、コミュニケーションに果たす役割を解明しようと、「言語」(大修館書店)11月号は〈感動詞—未開拓の研究領域へ〉の特集を組んでいる。
かつて韓国で日本語を教えていたときの体験を、田窪行則は冒頭で紹介する。非のうちどころない上品で美しい日本語を話す、韓国人の女性教師をめぐるエピソードだ。彼女の研究室で日本語で話していると、電話が鳴った。「そのときとっさに彼女が使った韓国語は、それまでの完璧(かんぺき)な日本語の流暢(りゅうちょう)さとは違って、いいよどみ、いい直し、などの満ち溢(あふ)れたもので、しかもいかにも自然であった」。内容はここから専門的になるが、日常会話のいいよどみを「自然な発話」ととらえる視点がうかがえて印象に残る。
テレビ番組「トリビアの泉」では、なぜ雑学の面白さを評価する単位として「ふーん」や「ほう」ではなく、「へえ」が用いられるのか、その必然性を周到に論じていく、冨樫純一の「『へえ』『ほう』『ふーん』の意味論」は、マジメな顔でギャグを連発するコメディアンの雰囲気が漂う。
マリリン・モンローが映画「七年目の浮気」で、地下鉄の通気口から吹きだす風であおられたスカートを押さえる有名なシーンがある。あのとき、彼女は何と叫んでいたかを考察した評論も掲載されていて、うーん、言語学者の、まあ、不思議なユーモア感覚が、あの、垣間見られるだけでも、ええと、一読の価値があるかと。