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機械と人間 ひずみに迫る 柳田邦男「マッハの恐怖」

写真・伊ケ崎忍

 東京オリンピックがあった1964年、全日空が国内線で就航させたボーイング727型機は、ジェット機にイノベーションを起こした最新鋭機でした。離着陸の性能がよく、さっと上がってさっと降りられる。速くて燃費もよく、誇らしげに飛んでいました。
 ところが65年、アメリカで同型機が着陸寸前に墜落する事故が続けざまに3回起きました。そして66年2月4日。千歳空港から羽田空港へと向かった全日空機が、東京湾に墜落したのです。雪まつりの見物帰りの乗客ら133人は全員亡くなり、6人の子が両親を、109人が父親を失いました。
 NHKの社会部遊軍記者だった僕は、事故直後から羽田空港や遺体の捜索船、遺族の詰め所などで取材しました。取材を始めてすぐに疑問を持ちました。高度な技術をつぎ込んだ最先端のハイテク航空機が、なぜ相次いで落ちるのか。これはハイテク時代に突入した現代文明の病ではないか、と。
 他社は次々と推測記事を出していましたが、キャップには「中途半端な記事はいらない。真実だけを追いかけろ」と言われました。専門家と旧運輸省航空局幹部らによる事故技術調査団や、航空自衛隊の研究所の人たちと顔なじみになり、ひそかにやっている実験や調査にも潜りこみました。専門的なことまで表現しなければ、機械と人間の関係性のひずみの真実を伝えられないと考え、航空工学者や機長らから懸命に学びました。
 調査団の団長の航空工学者・木村秀政氏は、下手な事故原因を発表すれば外国に対して恥ずかしいと、結論を「原因不明」に持っていこうとしていました。
 それに対して、機体に欠陥があったことが事故の原因だと考えたのが、航空工学者の山名正夫氏でした。スピードを落とす役割をする主翼の上の金属板が誤って立ってしまったことを引き金に、エンジン内で爆発的燃焼が起き、エンジン脱落や胴体破損が次々に生じた――膨大な調査と実験により、こんな説を導き出したのです。
 しかし最終的に、山名リポートについて十分な議論はないまま「原因不明」説に立った報告書が採決され、4年に及んだ調査は打ち切られました。調査団に辞表を出した山名氏は、「私は亡くなった方々の気持ちになって、破壊された破片の一つ一つを見てきました。(調査団主流派とは)事故調査の基本理念が違っていました」と話していました。

ハイテク機の墜落 「真実」へのドラマ

 番組では、理詰めの分析や、山名リポートをめぐる経緯、遺族や目撃者たちのドラマをきめ細かくは伝えきれず、自分で書き下ろすしかないと考えました。仕事の後の深夜、社宅の食卓に資料を広げて1枚2枚と書き進めました。無機質な事故の分析だけでは、機械文明と人間の関係を全体として問うことはできない。分析と、生身の人間の声を組み合わせようとつとめました。スリリングな書き方は、英国の事故分析本と松本清張の『点と線』が教科書でした。同年に起きた2件の事故の取材記録と合わせて出版すると、「初めて真実が分かった」など大きな反響がありました。
 74年にNHKを退職し、原爆やがん医学などさまざまなテーマに取り組みました。根底にある問題意識は同じです。現代の繁栄を支える科学技術が、主人公である人間をのみこんでしまう危険をはらんでいるのではないか。この世の中で、人間は生と死をどう受け入れなければならないのか――。
 現代社会は、あまりにも科学技術や法律・制度に支配されています。事件事故や災害の遺族が困っていたり、安全対策の改善を訴えたりしても、「今の制度ではこれ以上はできません」と遮断してしまう。それでもここ20年ほどで、行政や世の中は少しずつ変わってきました。大きな被害があると、行政が遺族の声を聞き対策を検討するようになりました。かつては孤立していた遺族たちがゆるやかに連帯し、働きかけてきた結果です。喪失の悲しみは時間が経つとむしろ深くなりますが、そのなかで人とつながり支え合う大切さに気づき、人間が高められていく。彼らの生き方は、日本人の価値観を変えていくものだと感じています。
 (聞き手・高重治香)=朝日新聞2018年1月31日掲載