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膨張する広告戦争 SF世界に 椎名誠「アド・バード」

写真・郭允

 今から約35年前、「アドバタイジング・バード」という題で個人誌に書いた、断片的な序章のようなものが最初です。プロの作家になる前でした。その後、僕が編集長をやっていたデパート業界誌でも書き、さらに短編にして文学賞に応募しましたが落選しました。
 1987年から「すばる」での連載でいよいよ腰を据えて書こうと思った。1年間の予定でしたが話が終わらず延長して2年半に。編集者が味方をしてくれて「いいですよ」と。今は故人ですが、育ての親ですね。
 広告が過剰になり、広告で世の中が汚染される世界に焦点をあてました。「すばる」連載の頃はものすごいバブル景気。あらゆる業種の広告合戦が激しかった。予算も使い放題の企業や政府が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、広告が世相をリードしていた時代。消費者を幻惑する広告という仕掛けがさらに進化していったら、生物をも媒体に使う広告戦争の時代が来る。商業主義のあげく闘い合い、殺し合う世界。そして、媒体に使われた生物たちが暴発し勝手に動き回る世界になったら、面白いと考えました。
 今では大手広告会社は強い影響力を持ち、選挙など政治まで動かす。広告を操るエージェンシー(代理店)の戦略が世を動かす時代になると予想していましたが、そうなりました。
 発想の元は、自然科学や天体物理学などの書物ですね。アリやハチ、ホタルといった虫は集団脳で動いている。脳幹程度の思考体ですが、これを強烈な電波や電磁波で操る。さらに戦闘機の曲芸飛行みたいに、鳥に空中に文字を描かせるのも可能ではないかと考えた。今、使うならカラスですかね。個体ごとに電子装置を埋め込んだりして。
 のちにニューギニアの山奥に行ったとき、蛍が何万匹と集まり光る場所があった。木にとまっているのも飛んでいるのもパッと光り、パッと消える。点滅の周期がシンクロしていてクリスマスの電飾のよう。集団脳の実際を見た気がしたんです。
 まさに、めくるめく現実。SF作家はそこに一つの起爆力を得て「これがあるならあれもあるだろう」と発展させていく。

架空の生き物 ウソの論理積み重ね創造

 シノプシス(あらすじ)は書きませんでした。空想の生き物がどんどん浮かんできました。「地ばしり」「ワナナキ」……まず名前が出てきます。そんなウソの命名を細部の描写を通じてウソの論理で立証していく。かなりひねくれた創造ですね。
 でも連載開始から1年ほどで行き詰まり、苦悩状態になりました。SF好きの親友・目黒考二、北上次郎の名で知られた文芸評論家でもありますが、彼に「困っているんだけど何かアイデアはないか」と相談。すると「それまで書いてきたストーリーと全然違うものを、いきなり出せば良い」と彼は言った。
 そこで苦し紛れに書いたのが木と木が闘うという戦闘樹の話ですね。結局、全体の物語にうまくつながった。当時は若かったから、とんでもない発想も全体の中の一部分として生かせる力があったんですね。
 SFは飛躍したウソの世界を描くけれども、なぜそうなるのかを書かないといけない。ファンタジーと違って立証責任があるんです。「透明人間」をSF的に考えると、彼らは、ものが見えないはず。網膜はないか、あっても透明ですから、見たものが像を結ばない。羽ばたいて空を飛ぶ生物でいえば、翼を動かすのに相当な背筋と胸筋、腕の筋肉が必要で、身体も軽くないといけない。そういう細部の機能を考えながら、架空の生き物たちを描きました。
 生物の本質は生存競争。それがないと全部滅んでいると思います。盛者必衰ではなくて、弱者必衰ですね。アマゾンでは植物同士が攻防を繰り広げ、密林をつくる。防護のための毒を持つ植物もいる。キノコの中には食べた人間の手足の末端が激しく腫れて水中に手を漬けていないと耐えられなくなるものも。1週間漬けておくと、皮膚が溶けて骨だけになるとか。動けない生物のレジスタンスですね。
 人間が生物として優れているかというと、そんなことはありません。布をまとい住居で身を守っているが、むき出しになったら弱い。僕は人類は繁栄しすぎないほうがいい、と思っています。日本も1千人くらいがひっそり生きていたら幸せだろなと。今「文学界」に連載しているSFは数千年先の未来。ちっちゃくなった人間が、大きくなり動き回るようになった植物と闘っています。(聞き手・赤田康和)=朝日新聞2017年5月31日掲載