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島田荘司さん「占星術殺人事件」インタビュー 探偵・御手洗、散々だった評価 

 ミステリーを書き始めたのは「飢餓感」からだったんです。
 音楽活動や様々な職を経て、30歳になってから小説を書き始めました。当時は松本清張さんの影響を受けた社会派ミステリーばかり。痴情のもつれから起きた殺人事件を、よれよれコートを着て靴の厚底をすり減らしながら刑事が解決するような。あれはあれでいいんですが、大がかりなトリックを、律義に伏線を回収しながら探偵が解いていく本格探偵小説がなかった。だったら自分で書いてしまえ、と思ったんです。
 『占星術殺人事件』は江戸川乱歩賞に応募しました。少年時代から親しんだ乱歩的世界だなと思って。最終候補になり、とったも同然と思っていたら、見事に落っこちた。無理もないですね。当時の探偵文壇は乱歩さんが書いた猟奇的な作風に退行してはいけないという雰囲気があった。清張さんが出てきて、せっかく純文学の側にも認められてきた流れを退行させるわけにはいかない。女性のバラバラ遺体が出てくる小説なんて、とバッシングの嵐でした。擁護してくれたのは森村誠一さんくらい。「占星術」が本になり、お礼状を書いたら返事が来まして、今でも文面を覚えています。「小説は作家が歌う歌だと思っています。私はあなたの歌が好きなのです」と。感激しましてね、部屋の壁にピンで留めて、毎日見ながら書いていた。あれがなかったら、挫折していたかもしれません。

年功序列の枠外 学生や女性から支持

 昔から探偵にもトリックにも興味があって、書き始めた頃には御手洗潔の探偵像はできていましたし、彼が解く謎や事件のアイデアは山ほどありました。ただ御手洗像がどう固まったかはよく覚えてないんです。もちろんホームズの影響はありますし、初期のジョン・レノンの、権力や古い価値観に向けるシニカルな態度も入っている。あと、映画「恋とペテンと青空と」(1967年公開)でジョージ・C・スコットの演じた詐欺師。諧謔(かいぎゃく)に満ちた、とにかくいい加減な男で、きまじめな日本人にはあまり見かけないタイプ。その辺りが交じった総合体ですね。
 エキセントリックで少々常人離れをした御手洗のふるまいは、まだまだ経済が右肩上がりで年功序列社会だった当時、受け入れられにくかった。天才などというものは汗と涙の努力で乗り越えないといけない存在で、実社会での共存は許せない雰囲気があった。編集者からも「御手洗だけは書かないでください。探偵はそばをすする、外見のさえない中年男じゃないとダメなんです」と言われた。
 そんな御手洗を最初に受け入れてくれたのは、大学生でした。ミステリー研究会の人気投票で1位になって。そこから、綾辻行人さんらの新本格ミステリーブームが起きてくる。もう一つ、意外だったのが女性でした。同人誌のマンガなどで盛んに御手洗を描くようになったんです。特にワトソン役の石岡和己との出会いを描いた『異邦の騎士』(88年)からは爆発的にファンが増えた。男社会の序列の外にいた女性だからこそ、ひかれたのではないでしょうか。
 御手洗シリーズは途中から海外が舞台の作品が増えてます。私がしばらく米国に住んだことも大きいし、謎の規模が大きくなると海外を舞台にした方がやりやすい面もありました。御手洗も北欧に移住させた。昔からのファンからは御手洗と石岡のからみをもっと読みたいと言われるのですが、年表を作ってみると事件が起きる余地があまりない。毎月のように特異な事件に出くわすことになる。そろそろ御手洗を帰国させるのもありうるかなと思うようになりました。ただ、定住するかどうかはね、ああいう男ですから。(聞き手・高津祐典、野波健祐)=朝日新聞2016年6月8日掲載