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南方熊楠、生誕150周年 日本に実在した「知の妖怪」

自然保護運動の先駆者でもある博物学者、南方熊楠(1867~1941年)=南方熊楠顕彰館提供

 最近、「ミナカタクマグスとかいう人は、なんでもエコロジーを最初に唱えたお方らしいが、この熊楠さんとはどんな人?」と興味をもつ読者が多くなった。
 実際、南方熊楠の学問的業績は、あまりに広大すぎて偉さの度合いがよくわからなかった。むしろ、当初はその捉えどころのなさが熊楠への関心を呼んだ一因だった。
 しかし、熊楠生誕150周年にあたる本年、事態は変化しつつあるようだ。和歌山県白浜町の南方熊楠記念館に快適な展示ホールが増設され、従来以上におもしろい熊楠の人間性と仕事の紹介が始まった。一方、専門研究の場である同県田辺市の南方熊楠顕彰館では、未整理だった原稿類や英語論文の公開がすすみ、それを基にした新研究が盛り上がっている。
 その勢いは出版界にも及んでおり、近著の松居竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶応義塾大学出版会・4860円)あたりが、現状では「熊楠学」の到達点といえる。

桁外れの人物

 なぜ熊楠関係の出版が継続するのか。原因は熊楠自身の信念にもあった。彼自身は論文集や著作集をださない代わりに、蔵一棟に収めきれない量の草稿や書簡類を(少年時代の書き物も含め)、まるで後世の日本人に残し託そうとするかのように、大切に保存したからだ。また友人や家族も敬意をもって遺品を守り、前記した記念館や顕彰館の設立につなげた。
 さて、熊楠について最初に語りだしたのは、「桁外れの人」という人間的魅力に感銘を受けた人たちだ。なかでも、本人自身が型破りな人物であった仏文学者・平野威馬雄の『大博物学者 南方熊楠の生涯』(リブロポート・絶版)が、日本に途方もない「知の妖怪」が実在したことを知らせた。
 近年では、妖怪漫画家の水木しげるも限りない共感をもって、熊楠に愛された猫の目から見た「ご主人」の生活ぶりを『猫楠 南方熊楠の生涯』で描いた。裸で顕微鏡を覗(のぞ)いたり、「あらぬところ」を真面目に観察する脱線ぶりまで、よくぞ描いたと言いたくなる。

宇宙的な発想

 しかし、熊楠はただの桁外れでない人物ということが、やがてわかってくる。
 本格的な書簡類の読み込みを通じて「南方曼陀羅(まんだら)」や「やりあて」といった熊楠思想のキーワードを発掘したのは、社会学者・鶴見和子の『南方熊楠 地球志向の比較学』(講談社学術文庫・1188円)だった。科学と非科学が「大乗仏教」のモデルを借りて統合されるという、宇宙的な発想を衝撃的に語っている。
 ここでいよいよ熊楠の作品を直接読んでみる段となるわけだが、このキーワード「大乗仏教」を手掛かりに熊楠の著述を再編集してみせたのが、人類学者・中沢新一の『南方マンダラ』だ。解題では熊楠思想の「超現代性」が説かれる。
 続いて一挙に全集(平凡社)へ行く手もあるが、現在品切れ。お薦めは『南方熊楠英文論考』「ネイチャー」誌編だ。実は論旨が最も分かりやすいのが、初期の英語論文なのだ。日本で知られていた拇印(ぼいん)の知識、中国古代に論じられた動物の保護色ほか、東洋の叡智(えいち)をもって西洋の権威と斬り結ぶ爽快感が楽しめる。
 これを読んだ上で、留学を終えた熊楠が日本語で雑誌に書きだした自由奔放な『十二支考』(岩波文庫・上1145円、下1037円)にすすむのがいい。
 あとはどこまで行けるか。むろん、熊楠の著述は無限にある。知られざる留学時代の大冒険を語った日記『南方熊楠 珍事評論』(平凡社・品切れ)など、青春期の妄想告白の先駆と呼ぶべき珍品である朝日新聞2017年5月7日掲載