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集団主義に巻き込まれる弱さ 柴田翔「されど われらが日々――」

写真・早坂元興

 終戦の混乱が終わったばかり、まだ高度成長は始まらない。そんな「戦後」の一番頭の時代に学生生活を送りました。この作品を書き始めたのは1950年代の終わり、大学院生の時です。自分が経験した学生の生活や意識を物語として書くことで、アイデンティティーを確かめようとしていたのでしょう。
 学生運動を書く、というつもりはなかったんです。けれど、当時の学生にとって運動は大きな位置を占めていたから、おのずから書くことになりました。
 当時は共産党が、東大でも非常に力を持っていた時代。僕は戦争や原爆への反対運動はしましたが、共産党には関わりませんでした。イデオロギーで世界全部が理解できるはずはないと思っていたから。何より集団主義的傾向がまっぴらでした。
 戦争中は軍国主義的集団主義が社会の隅々までありました。戦後の学生にも、相変わらず個人主義は悪いという空気があった。自分と同じ経験をしてきたはずの連中が、なぜ集団主義に巻き込まれていくのか。それが知りたかった。

学生デモ 個人だから出来る対話を

 学生を観察し、小説を書くなかで、「自分が正しい」「周りより上だと認められたい」との感情が、人を動かしているのではないかと思った。単純に言えば、人間の中にある弱さです。
 「六全協」で共産党は武装闘争を放棄しました。岸信介から池田勇人へ政権も代わり、高度経済成長の時代に入ります。小説では運動を離れた学生が自殺しますが、現実の「彼ら」は、企業戦士になっていきました。
 作品では、近代的な自我をめぐる問題も描きました。主人公たちは、自分が本来あるべき姿でないと考え、傷ついています。登場人物に女性が多いのは、戦後解放された女の人たちの方が、より自我を追求していく印象があったからです。他者と関係は持っても自分は変えたくない、そんな「自我主義者」の女性が登場します。
 実は作品を書いた直後にドイツに留学し、帰国した時には作品とは距離ができていました。自立した理性的な「個」という立派なものは、西洋の自画像にすぎないと気づいたからです。
 64年の発表ですが、本当によく売れたのは70年前後です。大学紛争の中心的存在だった全共闘は、「自立した個人」という戦後のイデオロギーを破壊しようとした半面、そこから抜けきれない過程にありました。60年安保の頃の学生たちとも異なり、戦後の安定した時代に育ち平気で物を壊す彼らには、距離を感じていました。その彼らのおかげで本がどんどん売れるのは落ち着きませんでしたね。
 社会の構造が強固でなかった時代は、学生たちが大きく声を上げると社会全体の雰囲気が変わるようなゆらぎがありました。今は社会全体がゆらぐことはなかなかない。若い人たちが社会問題に関わらない時期が長く続きましたが、この夏は学生たちの国会前デモがありました。昔と違い、彼らは個人として自発的に動いています。忘れないで欲しいのは、意見は異なるけれど同じようにまじめに考えている人たちがいることです。自分の意見が間違いないと主張するだけではなく、そういう人たちと本気で対話して欲しい。それは組織に縛られないからこそできることです。(高重治香)=朝日新聞2015年12月22日掲載