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伝えないと、もったいない 半藤一利「日本のいちばん長い日」

 文芸春秋に入り、伊藤正徳さんの担当になりました。伊藤さんは時事新報の社長を務め、『連合艦隊の最後』などを書いた方です。手伝いで、陸軍、海軍の大将などに話を聞き、リポートを作って渡していました。10人に2人くらいかな、伊藤さんが「この人はうそをついている」「当てにならない」という人がいました。「その場所にいたみたいに言っているけど、そんなわけがない」と。歴史を調べて書くためには、ある程度の知識が必要だなと感じました。
 伊藤さんは、1962年に亡くなります。亡くなる前に「あなたも今までたくさん昭和のことを取材したのだから、今後も続けた方がいい」と言われました。それが、今日まで続いているんです。
 過去の歴史を調べるための勉強として、自分なりに本を読む一方で、社内にも太平洋戦争を勉強する会を作りました。メンバーは10人くらいで、私がいちばん年上でした。ミッドウェー海戦などを戦い、まだ生きている人に、今のうちに話を聞いておこうと考えたのです。将来のために戦争の記録を残そう、ということではなく、ただ「もったいないじゃないか」という気持ちからでした。しかし、60年代は、平和主義の時代でもあって、社内でも「なんで戦争のことなんか勉強するんだ」と批判する人がいましたけどね。
 63年に、デスクをしていた月刊誌「文芸春秋」で、終戦当時の関係者の座談会をしました。陸軍の一部が、単に玉音放送の録音盤を奪おうとしていただけではなく、大クーデターを起こそうとしていたことなどを話してもらいました。30人くらい集まりましたが、一人が話すと、皆さん静かに聞いてくれました。終了後に、座談会だけではもったいないということで、この作品ができました。

戦争の記憶 物語化しないうちに

 ポツダム宣言を受け入れる、昭和天皇の最後の「聖断」から、玉音放送までがちょうど24時間ぐらい。関係者に取材した話を、1時間ごとに分けてまとめることにしました。タイトルのヒントになったのは、連合国軍のノルマンディー上陸作戦について書いたコーネリアス・ライアンの『THE LONGEST DAY』です。日本では『史上最大の作戦』(62年)なんてタイトルで出ましたけど。
 クーデターを起こそうとした近衛師団にいた人たちは取材できませんでしたが、ほかの人の多くは応じてくれました。当時は、後世に歴史をきちんと残さないといけない、と考える人が多かったように思います。
 勢いに乗って戦争を始めるのは簡単だけど、国家の秩序を保って戦争をやめるのは、なまじっかな努力ではできない。よく、あの時は止められたなと思います。
 歴史を語り継ぐことは大事ですが、戦争体験者は少なくなっていくし、体験した人も、語っていくうちに、意識しないでどんどん物語化してしまう。これからは、体験者から受け継いだものを、さらに伝えていくことになる。語り継ぐことが難しくなっています。
 6月に出した『十二月八日と八月十五日』(編著)では、いろいろな日記を引用しました。語り継ぐことは難しくなりましたが、日記のような書き残されたものを丁寧に読み比べることで、過去の時代を知ることができるのではないでしょうか。(藤井裕介)=朝日新聞2015年8月4日掲載