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賢治の導き、見えた真実 冨田勲「イーハトーヴ交響曲」

写真・井手さゆり

 「イーハトーヴ」はみなさんご承知のとおり、宮沢賢治の造語です。精神の理想郷。彼の故郷の「岩手」を重ねたことば、との説もあります。
 私は1970年代からもっぱらシンセサイザーで音楽をつくってきましたが、2012年、生のオーケストラのために「イーハトーヴ交響曲」を書きました。七つの楽章のうち、五つは宮沢賢治が礎です。注文の多い料理店、風の又三郎、銀河鉄道の夜……。誰にも支配されず、自由に信じ、自由に疑う。賢治は永遠に、そんな人でした。こうしたことは、大人になるにつれ、普通はできなくなります。
 中1で終戦を迎えましたが、「日本は絶対に勝つ」と叫ぶ大人たちの隣で「僕らはどうなっちゃうんだろう」とずっと思っていた。そんな不安に、賢治は寄り添ってくれた。生と死のあいだをたゆたっている人のように。
 終戦の年、出征する学校の先生を見送りに行きました。走ってゆく電車の窓をあけ、僕らに手を振ってくれた。その少し遠くの木の陰で、先生の奥さんが見守っているのが見えた。「無事でいて」と口に出せない苦しさに、僕は今も胸を締め付けられます。
 そんな僕に「戦後」のはじまりを告げた音が、天皇陛下の玉音放送でした。聞いた瞬間思ったのが、これって本当に天皇の声なのか、ということ。だって、「神」だった天皇の声を、それまで誰が耳にしましたか? 天皇の声と言われるがままに信じこみ、泣いたり沈んだりするならば、心まで支配されていることになるのでは、と。
 「日露戦争でバルチック艦隊を沈めた」と自慢していたおじさんが、見るかげもなくしょぼくれていたのも見ました。日本は勝つ。お国のために死ぬことは尊い。そう信じていた、いや、信じさせられていた大人より、賢治に導かれた僕らのほうが、ずっと「真実」を見ていたのかもしれません。
 「イーハトーヴ」では、オーケストラの後ろにしつらえたスクリーンのなかで、バーチャル歌手の初音ミクが歌って踊ります。この世のものではない世界からの声。賢治の世界を表現するには、絶対に不可欠だと思った。
 結果として東北の自然への賛歌となりましたが、構想は東日本大震災の前からありました。憧れ続けた賢治の世界を、どうしても音で描いてみたくなって。そもそも、あんな未曽有の災害で傷ついた人々を元気づけることなんて、僕にできっこない。でも、賢治の強さを思うことが、人生を信じる何らかの希望につながるなら、と思う。
 ひとつの正義をみんなに押しつける大人を、僕は軍国主義の時代に山のように見てきた。でも、賢治のなかでは、多種多様な宗教すら、普遍的な祈りのなかに静かに収斂(しゅうれん)されてゆく。
 「雨ニモマケズ」は人としての優しさの在り方を僕らに問いますが、もっとも大切なのは、この箇所です。
 サウイフモノニ ワタシハナリタイ
 「私は」なりたい。そう賢治は言うのです。こうなるように頑張れとか、そうあらねばならないとか。そんな風に、他人を己の正義の巻き添えにすることを、賢治は決して良しとしなかったのです。
 (聞き手 編集委員・吉田純子)=朝日新聞2015年4月28日掲載