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増えつづける本 場所ない、家計圧迫、それでも…

『本で床は抜けるのか』の著者・西牟田靖さんの部屋(本人提供)

 いま、家の建て替えで仮住まいに溢(あふ)れた段ボール箱に囲まれながら思うのは、お父さん、あなたのことです。地元の小さな書店から毎週のように大きな本の包みが届くと、家族はみな呆(あき)れていましたよ。念願の二階建ての家を新築したとき、あなたの書斎は床から天井まで、すべて本棚でした。それでも収まりきらないことを知ったあなたは、鉄筋で別棟を増築し、中をすべて本で埋め尽くしましたね。そしていつのころからか、そこが僕の部屋になったのです。

いまや命がけ

 家族が気に病んでいたのは、なんといっても本が際限なく増えていくことでした。おのずと、あらゆる場所を侵食していきます。普段はなんの役にも立たず、家計を圧迫するばかりです。皆の心持ちも穏やかではありません。血は繫(つな)がっていても、しょせん一つ屋根です。しかも阪神淡路大震災以降、本は立派な凶器になりました。いまや蔵書は命がけです。寝室にまで溢れる本で険悪になってもおかしくありません。ネットの普及で読書離れが加速し、本は売れず、豪華な全集や著作集も、とっくに財産などではなくなりました。蔵書にいいことなど、ひとつもないかのようです。
 この三冊は、それでも生きていくため、蔵書と向き合った三者三様の「告白」です。もっとも、立場や境遇はだいぶ違います。博覧強記で、多くの著書を残してきた紀田さんの『蔵書一代』は、人生の最晩年を迎え、半生を通じて集めた全蔵書をやむなく手放すに至った当日から、喜びも苦しみも本とともにあった過去を振り返った一冊です。理想の環境を得て、読書や執筆とともにあった最良の日々や、戦後、知識に飢えたように本が売れ、どの街の書店も賑(にぎ)わい、古書の値段が高騰した黄金時代を知る紀田さんならではの、すべてが幻のように消え失せつつある現在とのギャップに、怖いほどの寂寥(せきりょう)を感じさせます。

本あればこそ

 四十代で働き盛りの西牟田さんの『本で床は抜けるのか』は、本の重さで本当に床が抜けるのか、さまざまな事例を通じて追った一冊です。でも、決して他人事(ひとごと)ではありません。この問題に関心を寄せたのは、なにより自分の問題だったからです。危機を回避するため、西牟田さんは蔵書の電子データ化を進めるなど、本が過渡期にある現在を生きる者に特有の懸命な試行錯誤を重ねます。その結果、床こそ抜けませんでしたが、円満であった家庭が崩壊し、小さいけれども自由な仕事部屋で、孤独を嚙(か)みしめながら再出発を誓う場面で本は終わっています。
 世代こそ違えども、蔵書家の末路は芳しくないのでしょうか。蔵書に魂を売った引き換えに受け入れなければならない宿痾(しゅくあ)なのでしょうか。岡崎さんの『蔵書の苦しみ』は、後進がそんな目に遭わないため、自らの経験から絞り出した教訓を十四箇条にまとめた新書で、どれも深く納得するものばかりです。蔵書家は、もしも人生を破綻(はたん)させたくなければ、この教えを一度は嚙みしめる必要があります。
 でも、本当に守れるかどうか。冒頭で触れたように、僕はいま家の建て替え中ですが、思い切ったのはやはり蔵書問題でした。お父さん、あなたもそうでしたね。いったい、まったく因果なものです。でも、もしあなたの蔵書がなかったら、さして本好きでもなかった僕が、こうして物書きになっていたかは謎です。幼い僕が初めて西洋の美術や世界の文学に触れたのも、薄暗い奥の部屋に山積みにされたあなたの蔵書をひもといたのがきっかけでした。そしていま、小学生の僕の息子が、つまりあなたの孫が、今度はかつてのあなたの息子のように、山と積まれた僕の家の蔵書を眺めているのです=朝日新聞2017年9月24日掲載