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テッド・チャン「あなたの人生の物語」書評 言語と思考があやなすSF

あなたの人生の物語  [著]テッド・チャン [訳]浅倉久志・他

 二〇〇三年にハヤカワ文庫で初版の出たテッド・チャンの短編集『あなたの人生の物語』。その表題作が「メッセージ」として映画化され、版を重ねて累計何と15万部という。難解の誉れ高い短編集としては異例ではないか。実際、収録作の解釈については日本のネット上でも侃々諤々(かんかんがくがく)で、チャンの仕組んだ知のSFに、多くが巻き込まれている。
 権威的な文章にはおのおの特有の書き方がある。チャンはこれを利用する。それらの見た目をなぞってみせつつ、根底を虚構化するのだ。冒頭「バビロンの塔」は神話的建造物の空間記述自体をSF化する傑作だった。「七十二文字」では命名が実質を生むとする中世神学の名辞論がエネルギー論となり、単性生殖の小人=ホムンクルスなどに新見解が与えられる。天使の降臨が災厄へと実体化される「地獄とは神の不在なり」では、旧約聖書的記述がズラされ、神の恩寵(おんちょう)に関わる苛烈(かれつ)な定義が幾度も逆転されてゆく。収録作すべてに奇想満載、文学的な風格も充分(じゅうぶん)で、ボルヘス『伝奇集』をも継承している。
 根底にあるのは、言語により思考が定まるとする「サピア=ウォーフの仮説」だ。その最大達成が表題作。女性言語学者ルイーズの実娘への呼びかけと、ルイーズが対するエイリアンの「表義文字」の解読過程が、説明なしに交錯してゆく。やがてその文字が「過去と未来」を同時に意味化していると解明がなされ、実娘への呼びかけも、まだみぬ未来を「思い出している」とわかる。エイリアンの認識がルイーズの生に、先の仮説そのままに作用したのだ。感涙的な結末が用意される。
 映画「メッセージ」はこの短編に独自の形象を加えている。とりわけエイリアンの文字をふわりと浮かぶ墨状の円周形で示し、過去と未来をつないだ点、さらには中国のシャン上将を新たに造型(ぞうけい)した点。それで作品の中国性と「永劫回帰(えいごうかいき)」理念がより深まったのだった。
 阿部嘉昭(評論家・北海道大学准教授)
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 ハヤカワ文庫SF・1037円=23刷15万部 03年9月刊。映画は米アカデミー賞作品賞などの候補に。日本公開は5月で、結末の「答え合わせ」をしたい層が原作を手に取ったという。=朝日新聞2017年6月18日掲載