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町田康「湖畔の愛」書評 本気の遊びで、言葉に魂を

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年05月19日
湖畔の愛 著者:町田 康 出版社:新潮社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784104215034
発売⽇: 2018/03/22
サイズ: 20cm/252p

湖畔の愛 [著]町田康

この世でいちばん大事なのは正直であることだ、と言われて否定する人はいない。だがどうだ。金持ちは力を振るい、美人は得をし、きれいごとを口にする人で世の中は満ちている。けしからんではないか。九界湖の畔(ほとり)にたたずむリゾートホテルが舞台の本書で、町田康が導入するのは吉本新喜劇の形式だ。
 たとえば雑誌ライターの赤岩は「多様な価値観を認め合う共生社会」なんて言いながら、その実、自分の運さえ良くなればいいとばかり、隠された地元の神社を荒らそうとする。
 彼女にとって言葉とは単なる道具だ。口当たりの良い言葉を吐く彼女のような人々に対抗するべく、様々な手法が駆使される。「カップル」は「カッポーレ」に横滑りし、「思考のつぶやき」が「壺(つぼ)焼き」に変換される。突然「pretty vacant な若い兄ちゃん」と、パンクロックの歌詞が英語で割り込む。
 これはただの駄洒落(だじゃれ)ではない。お約束に満ちた退屈な言葉に真心を取り戻すための本気の遊びだ。その極北が客の太田である。言葉に絶望した彼は「言葉の意味というものをいったんすべて排除して、気持ちだけで喋(しゃべ)ったらどうなるだろうか、と思った」。音と気持ちだけで意味のない言葉を話す彼は、数々の苦難に出合う。だが周囲から無能だと思われていたホテルの雑用係のスカ爺(じい)だけは、太田の言葉を受け止められる。
 老人も青年もアウトローも、互いに突っ込み、どつき、笑いながら、ありのままでいることを認め合う。町田にとって吉本新喜劇は正直者のユートピアだ。そこでだけは正しい者が報われる。それは本書も同じだ。だからこそ、愛する女性を救おうとする客の吉良の言葉にならない「獣のように純一な祈り」は、龍神(りゅうじん)に聞き届けられる。そして赤岩にはバチが当たるのだ。
 本書の笑いの奥には、言葉に魂を取り戻したい町田の思いがある。そしてそれは我々の心を強くつかむ。
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 まちだ・こう 62年大阪府生まれ。作家、パンクロッカー。著書に『告白』『宿屋めぐり』『ホサナ』など。