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木下昌輝「宇喜多の楽土」書評 武士の誉れか、領国の安寧か

評者: 山室恭子 / 朝⽇新聞掲載:2018年05月26日
宇喜多の楽土 著者:木下昌輝 出版社:文藝春秋 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784163906522
発売⽇: 2018/04/26
サイズ: 20cm/349p

宇喜多の楽土 [著]木下昌輝

ゆあーんゆよーんゆやゆよん。
 岡山発の木下サーカス、2度目の公演へようこそ。
 大国にはさまれた備前岡山の逆境を“捨て嫁”戦略でねじ伏せた宇喜多直家の昏(くら)き血の滾(たぎ)りをお届けして、はや4年。こたびは直家の嫡男(ちゃくなん)にして、我が背の君、秀家さまの生涯をご高覧いただきましょう。
 我が名は豪。前田家の姫と生まれ、太閤(たいこう)殿下の養女となり、雛(ひな)人形の如(ごと)く宇喜多の若き棟梁(とうりょう)に娶(めあわ)されし者にございます。
 ゆあーんゆよーん。空中ブランコは華やかで非情です。夫の身は太閤殿下の皺(しわ)だらけの手で無造作に虚空に投げ出されます。錦の陣羽織をはためかせ、懸命に指先を伸ばして、つかみます。あるときは朴訥(ぼくとつ)な干拓奉行の泥まみれの手を、あるときは忠義な近習の血まみれの手を。つかみ損ねれば奈落へまっさかさま。そう、「義父上を信じる」と唱えつつ墜(お)ちていった関白秀次さまのように。
 ゆあーんゆよーん。宙を舞う夫の四肢に絡みつくのは、安国寺恵瓊の僧服の長袖か、徳川家康のぼってりした福耳か。黒い西洋鎧(よろい)に黄金のクルスを揺らめかせた左京の剛槍(ごうそう)も闇を切り裂いて飛来します。
 ゆあーんゆよーん。太閤殿下が没し、振幅は激しさを増します。報恩か裏切りか、武士の誉れか領国の安寧か。逆巻く気流に揉(も)まれた夫は、ついに関ケ原へ、11万の大軍に3万の兵力で抗する絶望の戦へと追い込まれてゆくのです。
 いっそう残酷なのは、石田三成さまや、はては豊臣秀頼さまの命運が尽きた後ですら、夫の命運が尽きなかったことでございます。死に後(おく)れ、死に損ね、それでも千切れた「兒」の旗を背負って跳び続けねばなりません。命を賭した跳躍の果てに夫がつかんだものとは。どうぞ、しかと見届けてやってください。
 お帰りの際には、貝あわせの片方をお持ちくださいませ。楽土へ導くお守りとなりましょう。
    ◇
 きのした・まさき 74年生まれ。作家。デビュー作『宇喜多の捨て嫁』は直木賞候補で、舟橋聖一文学賞ほか受賞。