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「法学の誕生」書評 普遍と特殊、心をくだいた兄弟

評者: 齋藤純一 / 朝⽇新聞掲載:2018年05月26日
法学の誕生 近代日本にとって「法」とは何であったか 著者:内田貴 出版社:筑摩書房 ジャンル:法学・法律

ISBN: 9784480867261
発売⽇: 2018/03/28
サイズ: 20cm/412,7p

法学の誕生―近代日本にとって「法」とは何であったか [著]内田貴

穂積陳重(ほづみのぶしげ)・八束(やつか)の名を耳にしたことはおありだろうか。評者にとってもほぼ名前だけの存在だったが、本書を通じて、伊達宇和島藩出身のこの兄弟が、「法」はあっても「法学」のない社会にいかにその基礎を築こうとしたかをよく知ることができた。
 本書が強調するのは、陳重や八束による法学の受容は、西洋を忠実に模倣する、あるいはそれに単純に反撥(はんぱつ)する類いのものではなかった、という点である。彼らは、普遍的とみなされた西洋法学の土俵のうえで、日本の伝統を正当化することに心をくだいた。
 八束は、これまで家族国家観を唱導した、「天皇即国家」の没論理的な国体イデオローグと見られてきた。その八束にあっても、天皇主権原理の正当化は、西洋世界にも十分通じる仕方でなされた、と著者は指摘する。
 他方、排外的な民族観を批判し、リベラルと評されてきた陳重も、西洋法学をそのままなぞろうとしたわけではない。彼は、民法典の編纂(へんさん)にのぞんで、「祖先祭祀(さいし)」の慣習にも根ざす日本の「家」制度を法の歴史的進化にどう位置づけるかという緊張を孕(はら)んだ課題を抱えていた。
 「普遍のもとでの特殊」と「普遍に背を向ける特殊」とは大きく異なる。本書によれば、陳重や八束の議論は、あくまでも普遍から離れない特殊の自己主張だった。このことが、陳重たちの死後、伝統の正当化が「西洋の土俵を無視して」進められるようになったことと対比される。
 おそらく著者の念頭にあるのは、近年における特殊の自己主張だろう。「自民党憲法改正草案」は、「長い歴史と固有の文化」を自明のものであるかのようにその前文に掲げている。日本国憲法前文の「人類普遍の原理」からの乖離(かいり)はいちじるしい。
 法はいかなる価値にもとづくべきか。明治期にこの問いを受けとめた2人の苦闘から学ぶことは多い。
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 うちだ・たかし 54年生まれ。東京大名誉教授(民法学)。著書に『民法改正』『契約の再生』など。