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文学は生きている 丸山健二

 創作に携わる者と孤独は、切っても切れない関係にあり、というか、それが必須条件であって、ために、殊更大げさに「芸術家は孤独な存在なんだよ」とつぶやいてみせる必要はさらさらなく、そんなことは笑止千万の言い種(ぐさ)であり、また、何よりも芸術家に不向きな性格であることを自ら示しているようなものである。要するに、孤独に耐えられ、孤独など何とも思わないということが、才能の重要な一部をなす必須条件で、ただ単に無頼派なんぞを気どってみせるだけの、劣等感の裏返しである虚勢を張るだけの書き手ならば、孤独に激しく苛(さいな)まれつづけるのは明らかで、そこに発生する火花をありふれた文章で表現して、これぞ文学であると声高に唱えてみたところで、中身は所詮(しょせん)、その程度の代物でしかない。ご機嫌取りが仕事でもあるかのような、文学よりも文壇の力関係に精通し、サラリーマン的な出世主義にどっぷりと浸(つ)かりこんだ編集者たちに囲まれていないことには、何も始まらないという、さらには、いっしょに酒を飲みながら交わしている雑談が、次の作品のヒントになるというような姿勢が普通になっているという、呆(あき)れ返った仕事のやり方は、書き手にとって貴重な孤独感を奪い去ることになり、自立と自律の道を断ち切ってしまい、繊細なおのれを徐々に鍛えあげることで、深化と進化の方向へ突き進むことができるせっかくの機会を失ってしまうことになるのだ。
 飲み過ぎと食べ過ぎによってたちまち行き詰まり、つぶれてしまった書き手を、この半世紀のあいだに大勢見てきたが、それは編み手や評論家という読み手のほうもまったく同じことで、感性が麻痺(まひ)したとかどうだとかいう高尚なレベルではなく、酒の飲み過ぎによって肉体がぼろぼろになってしまい、堕落者に限りなく近い状況に陥っただけという、実にお粗末な、そして当然の報いとしての終わり方ばかりだったので、正直なところ、同情する気にもなれなかった。それでなくても、実際には一般の仕事よりもはるかにきちんとした生き方をしなければならないはずなのに、いつしかこの世界だけがちゃらんぽらんな暮らしをよしとするようになり、そんなことをすればますます深まってゆくばかりの孤独地獄に投げこまれ、脱出不可能となり、アルコールとナルシシズムの前で立ち往生し、その最期に向かって同臭の者たちがやんやの喝采を浴びせるばかり。
 文学が死んだように思えるのは、錯覚にすぎない。死んだのは、従来のふざけた価値観を受け継ぐ文学関係者であって、文学そのものではない。文学は依然として素晴らしい生命力と無限の鉱脈を秘めて、すぐそこに脈々と息づいている。=朝日新聞2017年05月27日掲載