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津村記久子「浮遊霊ブラジル」書評 不器用な主人公に思わず笑みが

評者: 大竹昭子 / 朝⽇新聞掲載:2016年12月18日
浮遊霊ブラジル 著者:津村記久子 出版社:文藝春秋 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784163905426
発売⽇: 2016/10/24
サイズ: 20cm/180p

浮遊霊ブラジル [著]津村記久子

 津村記久子の小説には構えがない。短編七編のうち二編にうどんが出てくるが、つるつると喉越(のどご)しよく体に入ってくる。
 表題作はこうはじまる。
 「私はどうしてもアラン諸島に行きたかったのだけれども、生まれて初めての海外旅行に行く前に死んでしまったのだった」
 そこで男はアラン諸島に行きそうな人にとり憑(つ)いて願望を果たそうとする。かなり突飛(とっぴ)な設定なのに違和感を与えないのは、男の気配の薄さも関係しているだろう。彼に願いはあっても我執はない。霊の特権を利用して銭湯の女湯を見にいったりするものの、欲望からも遠い。霊になったからではなく、生きているときからそうだったのではないか、と感じさせる視線なのだ。ものを見る目に湿り気がなく恬淡(てんたん)としている。
 同じことは「給水塔と亀」にも言える。定年を迎え故郷に転居する男の話で、描かれるのは引っ越しの日の数時間の出来事だ。
 人生に多くを望まず、たまたまそうなった、という感じで独り暮らしをつづけてきた。積極的に生きる器用さに欠けたのだ。代わりに彼が身につけたのは、自己洞察と他者への観察眼、それを定点とした物事への距離感だった。
 と書くと冷たい人物が連想されるかもしれないが、まるでちがう。なめらかで、あたたかく、滋味があり、読みながら思わず頬(ほお)が緩む。子どもの頃に好きだった給水塔を見つけて男はこうつぶやく。
 「帰ってきた、と思う。この風景の中に。私が見ていたものの中に」
 懐かしい、とは言わない。シンプルだが動きのある表現で懐かしさの源に下りていく。物事に注がれる視線と距離のかたよりのなさが、その公正さが懐かしさの元を探る手立てとなるのだ。悟りや達観のような大袈裟(おおげさ)なことではなく、小さな発見と納得が人生の受容へとつながるところがすばらしい。絶妙な温度で人間を慈しむ傑作である。
    ◇
 つむら・きくこ 78年生まれ。作家。「ポトスライムの舟」で芥川賞。「給水塔と亀」で川端康成文学賞。