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辻山良雄が薦める文庫この新刊!

  1. 『数学する身体(しんたい)』 森田真生著 新潮文庫 529円
  2. 『海うそ』 梨木香歩著 岩波現代文庫 799円
  3. 『帳簿の世界史』 ジェイコブ・ソール著、村井章子訳 文春文庫 950円

 一読すれば目の前の世界が一変して見える、三冊をご紹介。組織に属さず、在野で研究を続ける若き著者が書く(1)は、「数学」と聞いただけで学生時代の苦手意識がよみがえる人でも、興味深く読み進めることが出来るだろう。専門的だが読みやすく書かれた文章は無駄がなく、あるべき姿に収まった気持ちよさを感じる。一般に、世界を抽象化するのが数学という学問かもしれないが、著者はそこに身体という具体、実感を吹き込む。頭で考えるだけでなく、全身で数の流れに没入し、そこに生成する世界を感受しようというのだ。数学を〈理解〉の対象とするのではなく、そのなかに〈生きる〉ことで、わかるとは何か、心とは何かという身体的な不思議に、光が差してくる。直感と論理が重なり合う物語を読むような、深みのある味わいが残った一冊。
 (2)を読めば周りの自然がつぶやく声に、より耳を傾けるようになるかもしれない。小説の舞台は南九州に浮かぶ小島。地理学者である主人公は、様々な種の動植物が息づく、豊穣(ほうじょう)な島の自然に魅せられる。その島にはかつて修験道の霊山があり、その跡をたどる、ゆったりとした筆致が、読むものに歩く臨場感や島にいるという実感を与え、自然そのものと一体化したような喜びが沸きあがる。
 しかしそのまぶしい日々には後日談があった。五十年後に再訪した島は変わり果て、その姿に読者は、大きな問いを投げかけられる。幸福と喪失の感情が混じり合った、いつまでも心に響く物語。
 (3)「権力とは、財布を握っていることだ」と、アメリカ建国の立役者の一人・ハミルトンは喝破した。ギリシャ・ローマの時代から、メディチ家、フランス絶対王政まで、世界史上に存在した数々の例をひもときながら、国家と会計との関係を検証する。正しい会計は本来実用的な力であり、欲深さとはかけ離れたところにある。「会計」の原理を知ることは、権力が巧妙にそれを利用することを防ぎ、自らの生活をよきものに変えるためにも必要なことだと思った。
 (書店「Title」店主)=朝日新聞2018年5月12日掲載