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挫折した哲学書をストーリー漫画で 「講談社まんが学術文庫」の挑戦

文・写真:北林のぶお

マガジン流のノウハウで古典をストーリー化

――古典を漫画にするという「講談社まんが学術文庫」の、読者に対する狙いは何でしょうか?

 哲学の名著や古典を読むのにチャレンジしてみたら、難しくて挫折したという方は多いと思います。そういう古典を超訳したりして解説する本が、最近になってヒットしつつあります。大人になって余裕が出てくると、何か指針が欲しくなって、もう一度チャレンジしようという気が起こる人が多いのかもしれません。

 今回の候補リストに挙がっているのは、高校の倫理の教科書に出てくるような人物の著作ばかりです。名著を翻案して漫画のストーリーにすることには批判もあると思いますが、まずは読者に内容をざっくりとわかっていただくということが大事。ネットでも、面白かったから原本にも挑戦してみようという反響があったのはうれしいですね。

――事前に何冊か読ませていただいて、内容を現在の社会や自分に置き換えて考えさせられました。いきなり原本を読んでも、こんな読後感は得られなかったと思います。漫画としての演出はどのように考えていますか?

 哲学書は、一種の論文だと思います。その難解な論文を、ストーリー漫画で面白く読ませるための演出をするとなると、やはり「マガジン流」になりますね。ボクらがこういうノウハウで漫画を作ってきたという、当たり前のオーソドックスな手法をやっているだけなんですけど。人間の感情などをしっかり描いて、飽きないように話の展開を重視するというのは、これまでヒットした映画やアニメなどにも共通していると思います。

行き詰った政治を打開するために人工知能「SORAI」が導入される。『政談』P12-13より ©まんが学術文庫/講談社
行き詰った政治を打開するために人工知能「SORAI」が導入される。『政談』P12-13より ©まんが学術文庫/講談社

――荻生徂徠『政談』では、冒頭でAIが登場するのに度肝を抜かれました。

 彼は、社会の安定のためには一種の全体主義が最も良いと言っていた人です。身分社会のある江戸時代に話を設定すると普通に見えちゃうんですけど、近未来に置き換えたら違和感があって読者の印象が強くなるのではないかと。漫画家さんから提案があって、そのように決めました。

――この種の本だと、コマの外に解説コーナーのようなものを置きがちだと思います。そういう逃げ道を作らないというのは、かなり大変なのでは?

 漫画を読む時はみなさん、マンガ脳になっていると思います。読者はストーリーに没入したいたのに、文字だけのアナログな情報を出されると、脳がスイッチしちゃいますよね。それは、ボクらのような“マンガ屋”の立場からすると、とても不親切です。ストーリーを中断して原文や解説文だけを載せたりするのは、漫画に咀嚼(そしゃく)できないということですから。漫画のストーリーだけで成立させようというのは、“マンガ屋”としてのこだわりでもあります。

何を得るのにも金が必要となる資本主義の仕組みを、男たちの野望や恋物語とともに描く。『資本論』P 56-57より ©まんが学術文庫/講談社
何を得るのにも金が必要となる資本主義の仕組みを、男たちの野望や恋物語とともに描く。『資本論』P 56-57より ©まんが学術文庫/講談社

――どういう体制で制作していますか?

 編集の3人は主に漫画畑を歩んできて、そんな難しい本を担当したことがありません。倫理の教科書から復習して、毎日が受験勉強をしているような状態です。漫画家さんも基礎知識がなければ難しい。幸運にも、大学で哲学を専攻していたり、哲学が好きだという漫画家さんたちと出会うことができました。今まで少年誌では編集主導型のケースが多かったのですが、今回はボクたちも同時並行で勉強しながら、漫画家さんと一緒に考えて作品を作り上げています。

名著と読者を結びつける、池上彰さんのような役割を

――漫画にする作品を選ぶ基準は?

 ジャンルは大括りで言うと哲学ですよね。宗教、心理学、社会学…。面白ければ何でも漫画にします(笑)。例えば、親鸞の弟子がまとめたとされる『歎異抄』が第一弾のラインアップにありますが、日本人は意識していなくても仏教の文化に触れている部分があるので、今後も仏教系の作品を出す可能性はあります。仏教って、西洋哲学や中国思想のような論理というよりも、こういう感覚を体得しろということだから、表現するのはすごく難しい。どういう演出で漫画にすべきかを悩んでいますが、理解したいと思っている読者はたくさんいると思いますよ。

著者ゾンバルトがナビゲーターとして登場。『恋愛と贅沢と資本主義』P6-7より ©まんが学術文庫/講談社
著者ゾンバルトがナビゲーターとして登場。『恋愛と贅沢と資本主義』P6-7より ©まんが学術文庫/講談社

――社会学の分野では、教科書に出てくるマックス・ウェーバーではなく、彼のライバルだったゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』というのは、クセの強いセレクトですね。

 ゾンバルトは日本ではあまり知られていなくて、それに関しては賭けの部分もあります。マックス・ウェーバーは要するに、真面目な人(プロテスタント)が働いて資本主義を大きくしたという趣旨の人ですが、ゾンバルトは180度違います。資本主義を発展させたのは無駄使いと恋愛だと言っているわけで、読む側にとっても大変魅力的ですよね。

――ベストセラーになった『君たちはどう生きるか』のような、隠れた名著をクローズアップしようという意図もあるのですか?

 面白いのに知られていない名著は数多くあるので、漫画にしてきたいと思っています。ですが、第一義的に扱いたいのは、内容や翻訳が難しすぎて皆さんが挫折したような書物。読者に求められているのは、原本がさっぱりわからないから漫画でわかりやすくしてほしいということだと思います。だから、小説でも難解なドストエフスキーは漫画にしましたが、夏目漱石のような作家の作品はあえて漫画にする必要はないと思っています。本人の文章が上手くて、読者も直球で理解できるわけですから。

殺人を犯す主人公・ラスコーリニコフ。『罪と罰』P58-59より ©まんが学術文庫/講談社
殺人を犯す主人公・ラスコーリニコフ。『罪と罰』P58-59より ©まんが学術文庫/講談社

――「漫画だからできること」はたくさんあると思います。今後の予定や抱負を教えてください。

 久々に哲学を大真面目に勉強して、約40年前と状況が変わっていないということに気付かされました。原本が難しいのに、その解説書も難しい専門用語で学者が説明しているから、何が言いたいのかよくわからない。哲学や宗教の本が何百年、何千年も経て残っているということは、その知恵を求めている人がたくさんいるはずなんです。ボクらは、人類の知恵とも言えるコンテンツを、漫画というわかりやすい媒体で読者と結びつけようと考えています。難しい本を読んで毎日苦悩しながら、池上彰さんみたいな役割を演じてみようと(笑)。6月は『カラマーゾフの兄弟』、7月以降も「えっ、何でコレを漫画に?」という意外なラインアップを予定していますので、楽しみにしておいてください。