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今ならパンダとも互角に戦える。 飴村行「粘膜探偵」

文:朝宮運河、写真:有村蓮

――『粘膜探偵』は待望の「粘膜シリーズ」最新作です。前作『粘膜戦士』から6年、長いブランクでしたね。

 参りました。ここ数年、精神的に行き詰まって、ほとんど書けなくなっていたんです。『粘膜人間』でデビューした当初は、「とにかく人体破壊描写が書きたい」という衝動に突き動かされていたんですが、数冊書いたらさすがに満足してしまった。『ジムグリ』という作品で新境地に挑んだんですが、まぁあれが評判悪くて……(苦笑)。自分がどちらに進むべきか、分からなくなったんです。

――『ジムグリ』は主人公が暗鬱な地下世界をさまよう幻想ホラー。とても面白く拝見しましたが。

 タルコフスキーの映画のように、詩的なイメージの連なりを狙った小説で、自分でも気に入っていたんです。編集さんも絶賛してくれて、これはいける!と思ったけど、一般読者には届かなかった。とはいえ過激なスプラッターを書いて、バカ売れしているわけでもない。抜け出るまでは辛かったですね。

――飴村さんには2015年にもお話を聞いています。当時すでに「粘膜シリーズ」次作のアイデアがあるというお話でしたよね。

 そうそう、「粘膜乙女」という仮題で、現実と夢の世界が入り混じっていく、みたいなストーリーを考えていました。これじゃあ壁を突破できないというのが、書く前から見えてしまって。それを延々こねくり回し続けて、気づいたら2018年になっていた、という感じです。思いついたところまで書き進んで、新しいアイデアが浮かんだら前に戻って直す、という書き方で。どこに物語の着地点があるのか、自分にもぎりぎりまで見えなかったです。

――『粘膜人間』で鮮烈なデビューを飾り、2作目の『粘膜蜥蜴』で日本推理作家協会賞というビッグタイトルを受賞。作家としては順風満帆に見えましたが……。

 たしかに一部の人たちは熱狂的に支持してくれたんです。ただそれ以上輪が広がらなかった。ネットの感想を読んでも「大好きだけど、人には薦められない」みたいな声が多くて(笑)、カルト作家の代名詞みたいになってしまったんですね。マニアだけがこっそり通う激辛カレー店のような。

――ううむ、特異な作風ならではの悩みですね。

 もともとマニアックな漫画や映画に憧れていたので、そういうポジションに収まったのはありがたいことなんですけど。そこに安住しちゃうと、変化がなくて、創作のモチベーションを保つのが難しいんです。あのサム・ライミ監督だって『死霊のはらわた』の後には『スパイダーマン』を撮ったじゃないですか。あれを目指さなければ! カルト作品の棚にずっと置かれているのはイヤなんですよ(笑)。

――新作『粘膜探偵』を含む「粘膜シリーズ」5作はそれぞれ独立した物語ですが、すべて戦時中を舞台にしています。この時代に強いこだわりが?

 結局一番書きやすいんですよね。吉村昭さんの戦記ものを愛読したこともあって、戦時中のあの雰囲気を思い浮かべると、アイデアが溢れてくる。僕にとってのホームグラウンド、『男はつらいよ』でいう葛飾柴又みたいなものです。丸尾末広さんや寺山修司の影響もでかいですね。高校時代、友だちがいなくて丸尾さんの漫画にどっぷりはまっていたんで、軍服や学生服がぞろぞろ出てくるあの感じが、脳に染みついているんですよ。

――『粘膜探偵』には、東京の治安を守る「特別少年警邏隊」(トッケー隊)なる組織が初登場します。この描かれ方がいかにも飴村さん流。10代の少年たちが一般市民に暴力を振るうシーンは、ショッキングでした。

 イメージとしてはドイツの「ヒットラー・ユーゲント」ですよね。選ばれた少年たちが、勇ましく不良分子を摘発するという。今回はそれをもっと適当な、半グレのような連中として描きました。戦時中の記録を読んでみると、みんな口では「お国のために」と言っても、腹の中ではやっぱり自分が可愛いと思っている。その小ずるさを表現したいなと。ほら、小学校でピアノを運んでいる時に、一人だけ力を抜いてる奴っているじゃないですか。ああいう汚いやり口に、僕はなぜか惹かれるんです(笑)。

――憧れのトッケー隊に入った14歳の鉄児は、巷で噂の保険金詐欺事件について捜査するうち、ある陰謀に巻きこまれていきます。今回はミステリー小説の要素が、これまで以上に強いですね。

 鉄児が追っている事件と、彼の父親が関わっている極秘実験、そして昏睡状態にある鉄児のお祖母ちゃん。この3つを絡めたミステリーが書けたら、もうひとつ上のレベルに行けるという確信がありました。問題は僕がこれまでミステリー小説をほとんど読んでいない、ということ(笑)。日本推理作家協会賞の受賞者として、かなり微妙な発言ですけど。それでヒッチコックの映画を観て勉強しました。なかなか面白かったですよ。

――物語の重要な鍵となるのが、マレー半島にある小国ナムールです。同国の歴史や風習、日本軍との関係などについてもっともらしく描かれていますが、架空の国なんですよね。

 つくづく自分は詐欺師に向いているなと。読者をうまく欺すコツは、細部までこってりと描写することです。たとえば「トラックが走ってきた」とは書かずに、「何年式の何型軍用トラックが何キロで何通りを走ってきた」と書く。今回はナムールの歴史や地理をでっちあげるのが楽しい作業でした。偽の近代アジア史を正面から扱ったことで、これまでのスプラッター表現に代わる面白さを提供できたかな、と思っています。

――ストーリーはラストまで二転三転。大人たちの歪んだ欲望に翻弄される鉄児たちから、目が離せません。

 トッケー隊って正義漢ぶっていますが、しょせん子どもの遊びなんです。大人が本気を出したら一瞬でひねり潰されてしまう。その恐怖や絶望感に、ゾーッとしてもらえると嬉しいですね。トッケー隊の姿には、世間を舐めきっていたかつての自分を重ねています。20歳の頃は本気で、あまねく男女は僕にひれ伏すべきと思ってましたから(苦笑)。当時の自分をぶん殴る代わりに、トッケー隊員をどん底にたたき落としたんです。

――唯一無二の“濃い”作風はそのままに、キレのあるプロットで間口を広げた『粘膜探偵』。ネットでの評価も上々のようですし、スランプは完全に脱しましたね?

 やっと抜け出せました。原点であるバイオレンスに回帰しながら、新しい面白さを盛りこむことができた。ここから「粘膜シリーズ・第2シーズン」が始まるのかなという気がしています。この作品から、ペンネームの「飴」を略字から正字に変えたんですよ。これからはもっと多くの人に、刺さるものを書いていきたいと思います。動物園でたとえるなら、これまでの僕は爬虫類館の地下にいるトカゲだった。でも今は地上のパンダとも互角に戦えるような気がします。