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過去を走って見えたいま 穂村弘さんが17年ぶりに歌集を出版

ほむら・ひろし 1962年生まれ。90年『シンジケート』で歌集デビュー。歌論集『短歌の友人』(伊藤整文学賞)、『鳥肌が』(講談社エッセイ賞)など著書多数=飯塚悟撮影

 歌人の穂村弘さんが歌集『水中翼船炎上中』(講談社)を出版した。エッセーなど多くの本を出しているが、歌集は『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』以来、17年ぶりだ。

 前の歌集以前から、25年間に詠んできた328首を収録。現在を起点に、自身が子ども時代を過ごした昭和40年代へ。そして昭和の終わりから21世紀へ。母の死を経験し、そしてまた現在へと戻る。読者は穂村さんの時間を伴走する感覚になる。
 《ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵(こたつ)のなかの火星探検》
 「子どもの頃のこと、ボロボロの現在を自分は書くだろうなあ、キラキラした青春は今は書かないだろうなあ。うすうす気付いていたけれど、歌集を作り出したらこうなった」
 《食堂車の窓いっぱいの富士山に驚くお父さん、お母さん、僕》
 歌集『シンジケート』以来、口語で自由に表現するニューウェーブ短歌を代表する歌人が両親も登場する昭和をうたう。「昭和ってすごく長い。ぼくらは高度成長期の子どもで、バブルにさしかかるころが青春。これまでの歌集は時間は『永遠』、テーマは『恋』だったが、今回はそれらがない世界」という。
 《ラジオ体操聞きながら味の素かきまわしてるお醬油(しょうゆ)皿に》
 《夜ママとおまわりさんが話してるサランラップのなかの赤飯》
 具体的な商品名の数々が「そういえばそうだった」と時代の記憶を刺激する。「味の素を食べると頭が良くなると言われていた」し、サランラップは腐敗=時間を止める象徴だ。昭和から21世紀へ、穂村さんを通してみる時代の変容はこうだ。

昭和から21世紀へ 自身の記憶を詠む

 「鉄腕アトム、科学忍者隊ガッチャマン……科学と未来はセットだった。いまやケミカルや科学はディストピア的イメージに。昭和よりすべてが快適だけど、人間には夢が必要。自分たちの夢を託せなくなった挫折感がある。子どもの頃、21世紀には水陸空自由に移動できる乗り物があるだろうと思っていた。でも水中翼船はいまも空を飛べない」
 《天皇は死んでゆきたりさいごまで贔屓(ひいき)の力士をあかすことなく》
 「昭和をうたうのに、その終焉(しゅうえん)は必要」と実在の天皇も登場する。「好き嫌いを言えなかったのは、昭和天皇が戦争の時代を生きたから。冗談のように映るかもしれないが、この歌はじつはシリアス。その象徴化が自分の文体ではこうなった」という。
 冒頭「出発」の章に、
 《電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっと君たちだから》
が置かれる。「10年以上前に作った歌だが、その当時よりリアリティーが増した」。戦争とセックス、管理されるイメージが現実味を帯びて迫る。終章にはミサイルと原発のイメージも出てくる。
 《シャワーコインのカウントダウンのデジタルの数字が減ってゆく泡の中》
 《「この猫は毒があるから気をつけて」と猫は喋(しゃべ)った自分のことを》
 「入れないつもりだったが、やはり最後に入ってきた。いまの感覚に、吸っている空気に、その気配がどうしても混入してくる」
 平成の終わりを意識しつつ、56歳の誕生日に刊行した歌集、「書かなくては落とし前のつかない世界だった」という。「自分が生きてきた時間、いったいあれは何だったんだという総括。味の素をいっぱい振っていたけど頭は良くなったんだろうかとか、学校で配られた原発のチラシに安全性が99・99999……%と書いてあったけど、あれはウソだったのかとか」
 かつて《「子供よりシンジケートをつくろうよ『壁に向かって手をあげなさい』」》とうたい、社会への違和感を軽々と表現、若い歌人たちをリードし、読者に支持されてきた。素材は自身、テーマは時間。昭和の子どもや老いる親などという一見スタイリッシュでないものを詠みながら、ここに描かれているのはまさしく「現在」だ。17年ぶりの歌集で、現代短歌のフロントランナーとして真骨頂を見せてくれた。(岡恵里)=朝日新聞2018年6月13日掲載