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松田青子「英子の森」書評 〈わたし〉は空虚な器なのか

評者: 小野正嗣 / 朝⽇新聞掲載:2014年03月23日
英子の森 著者:松田 青子 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784309022567
発売⽇: 2014/02/10
サイズ: 20cm/176p

英子の森 [著]松田青子

 〈大人になる〉とは、自分の前に広がる無数の可能性のほとんどを諦めることだ。だが、商品であれサービスであれ情報であれ現代社会が提示するおびただしい選択肢は、自分は万能細胞のようにまだ何にでもなりうるのではないかと幻想・妄想させる。松田青子は誰もが抱えるこの幼児性、未成熟への固執を意地悪なほど浮き彫りにする。
 暗闇で職業当てゲームをする人たちを描いた短編「わたしはお医者さま?」では、各人は医者や消防士など既存の職業に飽き足らず、〈ペンギンナデ〉とか〈切手専門の額装屋〉といった自分が本当になりたい職業(?)を紙に書き、自ら掲げる。それらは自分だけのユニークな「夢の職業」に思える。だが紙を照らす懐中電灯が渡されるたびに、受け取った当人が「わたしは……」と、一様にその夢を語り出す。結局どの〈わたし〉も己の現実を受け入れられないという点で、懐中電灯と同様に交換可能なアイテムにすぎないのである。
 では我々はどこに自我の拠(よ)り所を求めればよいのか。表題作の主人公の英子にとっては英語である。そんな娘を、母・高崎夫人は応援する。英語は娘が、自分や姑(しゅうとめ)のような主婦としての一生から逃れるための手段なのだ、と。だが短期留学1年程度の彼女くらいの英語力の人間は掃いて捨てるほどいる。英子の周囲には正規社員にはなれないが、英語を使う仕事を諦めきれない〈痛い〉同類ばかりだ。
 作中で英子が訪れる「森」とは、各人物たちの夢や無意識の世界なのだろう。それが人工的な色調や模様で彩られたとことん薄っぺらい場所なのが不気味である。
 〈わたし〉とは、メディアやネット空間を満たす紋切り型の言葉や欲望を載せた空疎な器に過ぎないのか。現代社会の表層をそっくりコピペして突きつけられたかのような居心地の悪さ。もちろん松田青子は確信犯である。
    ◇
 河出書房新社・1575円/まつだ・あおこ 79年生まれ。著書に『スタッキング可能』がある。