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コーマック・マッカーシー「チャイルド・オブ・ゴッド」書評 善悪超えたその先にあること

評者: 角幡唯介 / 朝⽇新聞掲載:2013年09月08日
チャイルド・オブ・ゴッド 著者:コーマック・マッカーシー 出版社:早川書房 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784152093813
発売⽇:
サイズ: 20cm/237p

チャイルド・オブ・ゴッド [著]コーマック・マッカーシー

 1960年代に米国で実際に起きた事件をもとにした連続殺人犯の物語だ。レスター・バラードは父親が自殺し、母親が他の男と駆け落ちする悲惨な家庭環境に育ち、幼い頃から残忍な性向が顕著で周囲の人間から疎んじられてきた。ある日、彼は車中で死亡した半裸の男女を発見し、女の死体を家に持ち帰り共同生活を始める。しかし暖炉の火が家に燃え移り、その奇妙な同棲(どうせい)生活は終わりを告げた。そこから彼は完全に孤独な男となって世界に放り出され、山野を根城として次々と無秩序な殺人に手を染めていく。
 物語は一読して非情だ。殺人や屍姦(しかん)の描写は残忍そのもので、少なくとも中学生の読書感想文に相応(ふさわ)しい本だとは言い難い。だがそれでも読後にすごい物語を読んだとため息が漏れるのは、善悪や価値を超えたその先にある何やら本当のことをこの小説が描いているように思えるからだ。
 コーマック・マッカーシーの小説を読むと、どれも人間が簡単に死んだり殺されたりするので、まるで生が軽く扱われているように感じられるが、それは間違いだ。人間が次々と死ぬのは、この作家が死は常に生の隣に存在するという、現代社会ではタブー視され、見えにくくなった真実を前提に物語を構築しているからである。死の領域に近い世界で生きている者が、死を取り込み、死を喰(く)らいながら、それでもどうあっても生きていかなければならないという、人間が皆、存在した時点で孕(はら)んでいる罪悪を描いているから、重たい。
 読点を排し内面感情を描写せず、風景と動作と会話だけで物語が進展する彼独特の文体は決して読みやすいわけではない。しかしこの文体があるからこそ一切の弁明は排除され、ただ人間と世界が向き合った局面だけが純粋に描かれている。そしてそこには深い物語がある。それは時に読み手の人生を狂わしかねないほど、深い物語である。
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 黒原敏行訳、早川書房・2100円/Cormac McCarthy 33年生まれ。米国の作家。『ザ・ロード』など。