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「犬の伊勢参り」書評 群衆と動物が入り交じった時代

評者: 田中優子 / 朝⽇新聞掲載:2013年05月19日
犬の伊勢参り (平凡社新書) 著者:仁科 邦男 出版社:平凡社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784582856750
発売⽇:
サイズ: 18cm/255p

犬の伊勢参り [著]仁科邦男

 犬が伊勢参りをした最初の記録は一七七一年だそうだ。それ以来まさに「ぞくぞくと」犬の参宮が見られたのだった。本当なのか? それにしてもいったいなぜ?
 本書は数々の疑問に答えながら、その全体で江戸時代の人と動物の関係を描き出した。江戸時代の犬は里犬だった。個人が飼っているのではなく、町や村が放し飼いで育てていたのである。つまりハチ公のような忠犬はいなかったのだ。食べ物と眠るところがあればどこへでも行く。誰かが首に参宮と書いてある木札といくらかの銭をかけておけば、多くの人々が宿と食べ物を世話し、次に送り出したのである。この送りかたは、抜け参りの人々の送り方と同じである。さらに人々は、参宮犬が通ると他の犬が吠(ほ)えない、伊勢に着くと拝礼するという伝説を作ってゆく。
 犬だけではない。田畑で働く牛も、当時はほとんどいないはずの豚も、伊勢参りをした。豚は日常では食べないので家畜としては飼われていないのだが、朝鮮通信使を迎える広島や岡山では放し飼いになっていたという。そこで豚の伊勢参りとなる。
 こうなると人々は一種の奇跡、神の意思を信じることとなって伊勢はさらに賑(にぎ)わう。そのムードを盛り上げたのが、天からお札が降ってくるという奇瑞(きずい)である。こちらは仕掛けがある。高い山や木に登り、葦(あし)でお札をはさみ、下の方に団子や油揚げを串刺しにしておくと、カラスやトンビがくわえる。食べてしまったあとでお札が下に落ちる、という仕掛けである。
 本書の全体から聞こえてくる聖域の静寂と喧噪(けんそう)、厳粛と猥雑(わいざつ)、群衆と犬や豚や鳥たちが入り交じる生活のエネルギーが実に楽しい。
 近代になると犬は個人が飼うものとなり、その他は野良犬とされて殺されるようになった。近代的秩序というものだ。どちらが犬にとって良い世の中なのだろう。
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 平凡社新書・840円/にしな・くにお 48年生まれ。毎日新聞記者を経て元毎日映画社社長。著書に『九州動物紀行』。