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「憲法9条へのカタバシス」書評 ローマ法まで掘り下げ論理を解明

評者: 間宮陽介 / 朝⽇新聞掲載:2018年06月23日
憲法9条へのカタバシス 著者:木庭顕 出版社:みすず書房 ジャンル:法学・法律

ISBN: 9784622086734
発売⽇: 2018/04/26
サイズ: 22cm/217p

憲法9条へのカタバシス [著]木庭顕

 著者はローマ法学者、いわゆるロマニストである。本書には憲法9条論だけではなく、漱石と鷗外をめぐる2編の文学論、ホッブズ論など、序論を含め全部で9編の文章が収められている。
 このラインアップを見たら本書は学者が余技で書いたエッセー集と思うかもしれない。だがそうした先入見は直ちに打ち砕かれる。全編、緻密な論理と浩瀚な歴史への引照が議論を牽引している。
 本業に対するものとしての余技は片手間仕事を意味しない。軍医と小説家の二足のわらじを履く鷗外は小説家の仕事を「あそび」だと述べているが、ホイジンガの「あそび」と同様、それは自己の全重量をかけて遂行されるのである。
 本書の著者にとって、鷗外の「あそび」は社会の規範や連関から解き放たれた、それゆえ目的―手段連関の外にある「自由」の領分である。この領分の未成熟が日本の近代市民社会を矮小化させた。漱石の『それから』の喜劇も悲劇も究極はここに淵源する。
 さて憲法へのカタバシスであるが、「カタバシス」とは、ギリシャ語で地の底、死者の住む冥府に降りていくことを意味する。論理という掘削機で問題を掘り下げ、過去の、とりわけ古代ギリシャ・ローマの言説を引照基準として、憲法9条の論理構造を明らかにしようとする。
 問題は戦争放棄を謳う9条1項と、「前項の目的を達するため」という語句で結ばれた戦力不保持・交戦権否認の2項との関係である。1項の戦争放棄が自衛戦争をも含むとすれば、その上に積み上げられる2項はだめ押し規定になり、自衛戦争を含まないとすれば、1項は2項に切り返されるだけのダミー条項となる。
 二つの項の論理関係を明らかにするために、著者はまずあらゆる形態の実力行使を禁止してみる。トランプゲームの神経衰弱のようにすべての札を裏返しておき、次に9条の許す札を表にする。
 基準は「占有原理」である。グロチウスの「他人の権利を侵害せず、自分の権利を守る、実力行使は許される」という主張を経由してローマ法の占有原理に下降し、占有侵害を押し戻す実力行使のみ(ただし国連ら超国家機関の介入を待つまでの間)憲法9条に合致する。ローカルな紛争を全体化する実力行使は禁止され、他国を威嚇するポテンシャル・パワー=戦力の保持も禁止される。
 自衛隊を明文化し、緊急事態条項の導入を図る改憲案は、著者の論理によれば、個人の自由と人権を守る政治体制に背馳するから、改正限界を踏み越える。著者の主張は論理的主張であって、決して机上の空論ではない。
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こば・あきら 1951年生まれ。東京大名誉教授(ローマ法)。著書に『政治の成立』『デモクラシーの古典的基礎』『法存立の歴史的基盤』(日本学士院賞受賞)、『ローマ法案内』など。