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「山靴の画文ヤ 辻まことのこと」書評 「居候」の名人の魅力をたどる

評者: 出久根達郎 / 朝⽇新聞掲載:2013年03月10日
山靴の画文ヤ 辻まことのこと 著者:駒村 吉重 出版社:山川出版社 ジャンル:エッセイ・自伝・ノンフィクション

ISBN: 9784634150249
発売⽇:
サイズ: 20cm/286p

山靴の画文ヤ 辻まことのこと [著]駒村吉重

 辻まこと。この人の著書や絵やイラストの原画、あるいは肉筆原稿などは、古書界でべらぼうに高価である。熱烈なファンが多いということである。亡くなってから、一挙に人気が出て、現在に続いている。何がかくも魅了するのか。そもそも辻まことは、何者であるか。誰にも師事せず、何のグループにも属さず、独自の画境を開いた絵師である。主として、山の絵を描いた。
 一方、不思議な語り口の名文を書いた。肩書をつければ画家であり随筆家だが、一概にそう断じられないものが、この人にはある。言葉に表せないそれが辻まことの魅力なのかも知れない。
 そのあたりを解明したのが本書で、わかりやすい辻まこと伝であり、辻まこと論である。私たちがまず彼に注目するのは、その生い立ちだろう。
 ダダイストの辻潤と、女性解放運動家・伊藤野枝の長男に生まれた。三歳の時、母は離縁し、無政府主義者・大杉栄と再婚する。まことは父の親類や知人宅に預けられ、転々とする。子ども好きの大杉宅にもいた。「大杉ヤのおじさん」と慕い、母は「野枝さん」と呼んだ。満十歳を迎える前に関東大震災が起こる。まことと潤は無事、二週間後、大杉夫妻が安否を心配して訪れた時、まことは家のそばで一人で遊んでいた。お互い気づかなかった。その日の夕刻、夫妻と幼い甥(おい)は憲兵隊に拘引され殺された。大杉ヤのおじさんに会っていたら、彼の人生も終わっていたはずである。
 以後のまことは、自ら「居候(いそうろう)」と称する日々を送る。家庭を持ったが、気ままに旅に出る。居候先の一つが、山だった。そして最後に求めた場所は、自死によって得た。
 辻まことの魅力とは何か。私たちを引きつけてやまないもの。特異な出自だろうか。不可解な生涯だろうか(本書でも明かされない謎が多い)。著者は一つの答えを呈示する。正しい答えか否か。本書の面白さはそのプロセスにある。
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 山川出版社・1890円/こまむら・きちえ 68年生まれ。ノンフィクション作家。『ダッカへ帰る日』『煙る鯨影』など。