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高橋源一郎『「悪」と戦う』書評 「本は生物」、実践として表現

評者: 鴻巣友季子 / 朝⽇新聞掲載:2010年05月30日
「悪」と戦う (河出文庫) 著者:高橋 源一郎 出版社:河出書房新社 ジャンル:一般

ISBN: 9784309412245
発売⽇:
サイズ: 15cm/273p

「悪」と戦う [著]高橋源一郎

 私たちの多くが生きているのは、自由選択とそれによる幸福追求の社会だ。古代のように規定された「善」という概念は成立しがたい。ならば、その対語の「悪」とはなにか?——刊行前には、作者自ら毎夜ツイッターに登場して、本作の創作過程とモデルを明かす書き込みをし、読者と直接対話して反響を呼んだ、渾身(こんしん)の作だ。
 序章は、末っ子の言葉の発達をめぐるお話である。後に続く本編と無縁に見えるかもしれない。しかしこれは「悪」という無形のものを、それと戦う過程を、断固言語によって捉(とら)えていくぞ、という小説家の声明と私には思えた。
 人が目をそむけるような外見の「ミアちゃん」。この悪の手先に拉致された弟を救いにいく兄の戦いの物語が、並行世界の構造をとりいれて展開する。世界の破滅を食い止めるため、兄は地獄巡りのごとく恐ろしい目にあい、精神を試され、この世の成り立ちを探ることになる。凄(すさ)まじい苛(いじ)め、制裁のための残虐行為、自殺、殺人……。パラレルワールド的な造りは、東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』などに最近しばしば見られるが、本書は近年の色々な話題作を想起させる。壮絶な苛めと攻撃誘発性(バルネラビリティー)の理論では川上未映子『ヘヴン』、善悪の「秤(はかり)」の均衡という概念は村上春樹『1Q84』、「象徴的な死」は阿部和重『ニッポニアニッポン』、家族モデル小説の虚実という問題では柳美里『ファミリー・シークレット』……などなど、ニッポンの現代小説の反射板という側面も見てとれる。
 『「悪」と戦う』の「と」は「共に」という意味だと思った、という読者からの反応がウェブ上であった。「悪」と共になにと戦うのだろう? 実はこの思わぬ「勘違い」にこそ、本作の深い核心が表現された気がする。悪=敵ではない。本書はこうしたリアルタイムの声をもとりこんで膨らんでいく。一種、感応器としての本であり、本が実は一つの形にとどまらぬ生物(いきもの・ナマモノ)であることを、自身の在り方をもって示してもいるのである。
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 河出書房新社・1680円/たかはし・げんいちろう 51年生まれ。作家。『日本文学盛衰史』で伊藤整賞。