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「モスクワ攻防戦」書評 新資料から見えた、独裁者2人の失策

評者: 久保文明 / 朝⽇新聞掲載:2010年07月11日
モスクワ攻防戦 20世紀を決した史上最大の戦闘 著者:アンドリュー・ナゴルスキ 出版社:作品社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784861822834
発売⽇:
サイズ: 20cm/477p

モスクワ攻防戦 20世紀を決した史上最大の戦闘 [著]アンドリュー・ナゴルスキ 


 「モスクワ攻防戦は、第2次世界大戦での最も重要な戦闘であったし、二つの軍隊の間で戦われた史上最大の戦闘でもあった。両軍合わせると、最高約七〇〇万人もの将兵がこの戦いに投入された」。しかもこの戦いが第2次世界大戦の初期において決定的な役割を果たしたことは否定しがたいが、これまで歴史家はスターリングラードやレニングラードの戦いの方に関心を寄せ、モスクワの戦いにはさほど興味を示してこなかった。著者によるとそれは、スターリンの度重なる失策や誤算と密接に結びついているからであった。
 モスクワが陥落の危機に瀕(ひん)したのは、何よりドイツによる攻撃はないと信じたスターリンの甘い思い込みの所産であった。スターリンは、ヒトラーによるソ連攻撃を示唆する膨大な数の証拠を無視した。その揚げ句、ドイツによる攻撃の事実の報告を受けたスターリンが最初に出した指令は「反撃を控えろ」だった。
 ヒトラーも大きな誤りを犯した。冬が来る前に全力で首都モスクワを攻略すべきだったにもかかわらず、ウクライナ方面の攻略を優先した。
 ソ連軍の背後には自軍の脱落兵を容赦なく狙撃する部隊が控えていた。ソ連側には当初ドイツ軍を好意的にみる人々も存在したが、恐怖政治に基づく占領を目の当たりにして、反ドイツ感情を強くした。モスクワ戦はこのように、両指導者の冷酷さの象徴でもあった。
 同時期のイギリスやアメリカ首脳部とのやりとりは、スターリンがモスクワ陥落の危機のさなかにありながら、ソ連の領土拡大を狙っていたことも示している。
 1941年11月7日、ドイツ軍が数十キロと迫るなかで、モスクワの赤の広場では革命記念日パレードが敢行された。軍が反対するなか、スターリンが強引に実施させた。これは国民に、彼が依然としてモスクワを支配していることを示すためのものであった。モスクワ死守の象徴的な意味はここからもうかがえる。
 スターリンにとって、シベリア師団をモスクワ防衛に呼び寄せることができるかどうかは、文字通り死活的重要性をもっていた。ソ連のスパイ、ゾルゲからの報告によって日本によるソ連攻撃はないと読んだスターリンは、シベリア師団をモスクワ防衛等のために呼び寄せた。
 日本の真珠湾奇襲は、まさにモスクワでのソ連軍による反撃が成功し始めた頃であった。もしドイツがここで敗北したことを知っていたら、日本は奇襲を行っただろうかと、あるジャーナリストは自問している。
 スターリンの側近であったミコヤンの息子は、「スターリンの独裁下に『おいてすら』、われわれは勝った」と主張するが、これにはそれなりの説得力がある。
 本書は近年公開された資料や聞き取り調査などによって再構成された歴史であり、多くのエピソードを含む。語り口はわかりやすいが、その物語は限りなく悲しい。多くの余韻と含蓄を残す書である。
 〈評〉久保文明(東京大学教授・アメリカ政治)
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 津守滋監訳、津守京子訳、作品社・2940円/Andrew Nagorski 47年生まれ。アメリカのジャーナリスト。「ニューズウィーク」誌の記者としてモスクワやベルリン、ワルシャワなどに駐在。