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せきしろ、又吉直樹「まさかジープで来るとは」書評 見えないもの照らし出す言葉たち

評者: 穂村弘 / 朝⽇新聞掲載:2011年02月13日
まさかジープで来るとは 著者:せきしろ 出版社:幻冬舎 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784344019287
発売⽇:
サイズ: 19cm/343p

まさかジープで来るとは [著]せきしろ、又吉直樹

 「自由律俳句集」と銘打たれている。が、全てを所謂(いわゆる)「あるある」ネタとして読むこともできそうだ。
 「弱火にしたいのに消えた」(せきしろ)、「急に番地が飛んだぞ」(又吉直樹)、「回文じゃなかった」(せきしろ)、「起きているのに寝息」(又吉直樹)。
 僅(わず)か数文字という短さ。にも拘(かか)わらず、強い「あるある」感に襲われる。我々の日常ではこの何百倍もの語数を費やしても伝わらないことが多いのに、なんという言葉の力だろう。
 「あるある」ネタでは、云(い)われた瞬間にぴんと来ることが重要だ。但(ただ)し、誰もが意識していることを上塗りしても意味がない。「寝不足が辛(つら)い」では「あるある」にならない。つまり、万人がなんとなく感じていながら、はっきりとは見えないもやもやを掴(つか)むセンスが必要になる。
 本当は「ある」筈(はず)のものがよく見えないのは、世の中の常識やルールがそれを「ない」ことにしているからだろう。例えば、こんな光景。
 「くす玉の残骸を片付ける人を見た」(又吉直樹)、「朝露で濡(ぬ)れた盆踊り会場」(せきしろ)。
 「くす玉」の存在意義は割れることで、その「残骸」にはもはや社会的な価値がない。同様に、本番翌朝の「盆踊り会場」にも価値がない。だから、目に入らない。でも、それらは確かに存在しているのだ。ふたりの作者は価値を失ったあとの存在をじっと見つめている。
 もう一つの特徴は「小さな負」の感覚が書かれていることだ。快挙や悲劇やちょっといい話はメディアで採り上げられるけど「小さな負」は無視される。でも、我々が生きている現場には、この感覚こそが充(み)ちているんじゃないか。無意識の裡(うち)に直視することを避けているそのツボを彼らは敢(あ)えて突いてくる。
 「自分の分は無いだろう土産(みやげ)に怯(おび)える」(又吉直樹)、「爪楊枝(つまようじ)の容器を倒して乱雑に戻す」(せきしろ)、「初めて発音するデザートを頼む」(又吉直樹)。
 見えないものを照らし出す危険な言葉たちに感動する。それは私が現に生きている「ここ」の生命を甦(よみがえ)らせてくれるのだ。
 評・穂村弘(歌人)
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 幻冬舎・1470円/せきしろ 70年生まれ。文筆家。またよし・なおき 80年生まれ。お笑い芸人。