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未だ衰えない職人の技 津村記久子さんが14歳で出会った音楽・ボブ・モウルド

 十四歳から二十五年以上、習慣的に音楽を聴いている。ジャンルで聴いたり、歌詞のついている曲なら歌手の声質で聴いたりするところもあるんだけれども、最終的には曲のメロディそのものが好きかどうかで聴いている。曲を作る人がとにかく大事だ。

 二十歳までに出会っていて、今も聴いていて、いちばん好きな曲を作ってくれる人というとボブ・モウルドだと思う。もちろん、ノエル・ギャラガー(元オアシス)もビリー・ジョー・アームストロング(グリーン・デイ)も高校生の時にはすでにいたけれども、「この人は自分の好きな曲を作る」と最初に確信したのはボブ・モウルドだった。

 ボブ・モウルドは、わたしが生まれた頃にハスカー・ドゥというハードコアパンクのバンドを始めた人で、それから十年ぐらい後、つまりわたしが十三歳とか十四歳の時に隆盛した、ニルヴァーナやパール・ジャムやマッドハニーに代表されるグランジに大きな影響を与えたそうだ。ハードコアパンクとかグランジとか、さも一般知識みたいに言うんじゃねえよ、と怒られそうなのだけれど、わたしが詳しく説明するのもなんだか興が削がれる感じがするので、手短に言うと、両方とも貧乏そうな人たちが普段着みたいな恰好でステージに上がり、ざらざらした音と比較的早いテンポで演奏するジャンルである。ハードコアパンクはそれに叫んだり怒ったりする「勢い」みたいなものが前面に押し出されていて、グランジはそれよりは少し内向的だった。他の付随するプラスの要素(見た目がいいとか歌って踊れるとか)が少ない分、この人たちの武器は曲そのものに集約されるところがあった。怒っていたりぐったりしていつつも、曲はとても良かった。

 ハスカー・ドゥ解散後、ボブはソロになり、いろいろとレコード会社と揉めたりキャリアの停滞の経験などを経て、シュガーを結成する。グランジの全盛期だった。わたしは十四歳だった。エンヤやU2を聴いていたのだが、もっといろいろなものを聴きたいと思っていた矢先に、ラジオでシュガーの曲がかかって、それがとても良い気がしたのでCDを買いに行った。それからずっとボブ・モウルドの作る曲を聴いている。シュガー時代の「Copper Blue」と「File Under : Easy Listening」は、発売から二十年以上経った今も日常的に聴いている。驚くのは、ハスカー・ドゥにしろシュガーにしろ、「三十七歳からあの曲が好きになった」みたいな変化が、未だ自分の中にあることだ。

 1960年生まれのボブは現在五十八歳で、初めて存在を知った時のおじさんからおじいさんになりつつあるのだが、普通に二年とか三年ごとにアルバムを出していて、特に2012年の「Silver Age」(おじいさん?)、2014年の「Beautey & Ruin」、2016年の「Patch the Sky」の三枚は特にいい。いつこの人は曲が書けなくなるのだろう、と疑問に思うぐらい、ずっといい曲を書いている。アーティストは年を取るとあんまり曲を書かなくなり、フェスに来ても昔の曲ばっかり演奏する。べつにそれはそれでいいし、それはその人の権利だと思うのだけど、ボブはちゃんと、心地好いざらざらしたギターと良いメロディ、そしてある程度思索的な歌詞の、豊かな新しい曲を作ってくれる。何のごまかしもない。それでそれがハスカー・ドゥーやシュガーといった全盛期に負けず劣らず良い、曲によっては今の方が良い、というのは実はすごいことだ。

 ときどき、小説とはまったく関係がないある選手やアーティストを自分の仕事の規範とすべきと考えることがあるのだけど、ボブ・モウルドはその一人だ。以前の功績に過剰によりかかることもなく、しれっといい曲を作り続けて四十年近く。職人的な潔癖さを持ったその仕事は、ずっと自分の目標であり続けている。