じっとりと汗ばむ季節。いやな夏がやってくる。けれどベランダの菜園は生き生きと緑の葉を茂らせて生気真っ盛り。
人間には倦(う)み疲れていても、菜園の生命には飽きることがない。
今現在、我が家では、トマトが次々と色付き始め、茗荷(みょうが)が細い茎を伸ばし、何より壮観なのはイチジクの木が二本。その実はまだ青く堅く小さいけれど、ざっと数えれば二百個は付いている。
別のプランターにはキュウリが数本ぶら下がり、食べるスピードを超える成長ぶりなので、キュウリというより瓜(うり)に近くなっている。チシャやサンチェの類いの菜っ葉はもう、毎日葉を千切りとっても追いつかず、かといって捨てるのは身を切られるように辛(つら)いので、あちこちに押し売り状態。
パセリやバジルなど香草の類いは、どうしてこんなに生命力が強いのだろう。香りは生命力の証しなのか、それとも香りが強いから虫を寄せ付けず繁(しげ)るのか。人間も、無臭化しすぎると弱くなる。ともかく鉢からはみ出す勢いなのだ。
今年の挑戦は、レモンを実らせることだ。去年の秋、大鉢に苗を植え付けたレモンの木は、春先に白い地味な花を付けて、その中のいくつかが今、二センチばかりの青い実をつけて日々成長している。
これが秋にはレモン色の大きな実になると思うともう、たまらない。南イタリアやカプリ島を歩くと、レモンの黄色が旅情をさそい、夕食後のデザートと一緒にレモンチェッロを啜(すす)るあの南国の酩酊(めいてい)を我が家でも、と思うのだが、たとえ秋に黄色い実を付けたとして、もぎ取ることが出来るかどうか。私の心はかなり痛みそうだ。レモン収穫祭でもやって、親戚知人を集めて、レモンタルトを振る舞うのもアリかな。だけどレモンタルトって、どうやって作るのだっけ。
観賞用の花々より、食べられるものの方が育てがいがある。田舎で畑に囲まれて育ったせいもあるだろうが、突然農作業に目覚めたのは東北の大震災のときだった。
当時、自分の食料は自分で、自分の生命は自分で養う、などと息巻いた。
生産や流通の過程がまるで見えていなかったことに思い至り、最初から自分で食料を作ってみたのだ。あのとき決意したワリには習熟には遠いけれど、一年半にわたった文芸誌の連載を書き終えたいま、書くことに少々疲れてはいるけれど農女としては意気軒昂(いきけんこう)なのです。=朝日新聞2018年7月7日掲載
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