1. HOME
  2. インタビュー
  3. 雨の日も晴れの日も、ぶれずに 飯嶋和一「星夜航行」

雨の日も晴れの日も、ぶれずに 飯嶋和一「星夜航行」

 思った通りにならなくても、信念を曲げず、まっすぐに生きていけばきっと良い人生がひらける。そんな希望を示してくれる大著だ。飯嶋和一さんが3年ぶりの歴史小説『星夜航行(せいやこうこう)』(新潮社)を出した。豊臣秀吉や徳川家康が君臨する激動の時代に翻弄(ほんろう)されながらも、自らの道を歩み、生き抜いた男を描く。

 2008年『出星前夜(しゅっせいぜんや)』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』で司馬遼太郎賞を受けた。寡作だが、資料を調べあげ、徹底的に細部にこだわる姿勢を本作でも貫く。連載5年、著者校正に4年、計9年を費やして、上下巻で約1100ページもの大作を書き上げた。
 主人公の沢瀬甚五郎は実在の人物という。執筆のアイデアは、森鷗外の短編小説『佐橋甚五郎』から得た。行方をくらました徳川家の旧臣・佐橋甚五郎が二十数年後、朝鮮の使いとして駿府の家康のもとを訪れるという「因縁」を描いたストーリーだ。小説の末尾には「異説を知つてゐる人があるなら、その出典と事蹟(じせき)の大要とを書いて著者の許(もと)に投寄して貰(もら)ひたい」と記されている。
 「鷗外にとってもよく分からない人物だったようで、ずっとひっかかっていた。調べているうちに、『佐橋』を『さわせ』と読ませる別の史料が見つかったり、徳富蘇峰の歴史書にもそう記述されたりしていた。彼の不思議な功績、人生の軌跡を書きたかった」

徳川家旧臣 草の根目線で追った1100ページ

 父が家康に弓を引いたため、農村暮らしを余儀なくされた甚五郎。祖父から剣術はもちろん、馬術や鉄砲術までたたき込まれていた。その腕前は家康の長男、三郎信康の家臣の知るところとなり、「小姓衆」、いわば幹部候補生に取り立てられるが、ある出来事をきっかけに、罪なくして追われることに。
 その後、秀吉が天下統一を成し遂げる時代の波にのまれていき、商人として堺、薩摩、博多、ルソンの地を転々とする。しかし、権力に振り回されながらも決して屈しない。『星夜航行』というタイトルは、そんな甚五郎の人生を象徴するかのようだ。
 「星は雨や曇りの日には見えませんが、一定の軌道で動きます。人生には変転がありますが、どんな立場になっても心の指針がぶれなければ、きっと良い人生を過ごせるんじゃないかと思う」
 「バテレン追放令」を出した秀吉は、海外交易を視野に中国・明の征服を企てて朝鮮出兵を行ったが、多くの市井の人々が犠牲となる。この作品を書きながら意識したのは、1916年公開の無声映画『イントレランス』だった。米国のD・W・グリフィス監督が、四つの時代と地域の物語を、人間の「不寛容」という共通のテーマで描いた作品。「不寛容は不寛容を呼び、報復は報復を呼ぶ。この世界は不寛容、憎しみを乗り越えなくてはいけないと、とうの昔からわかっていたにもかかわらず、100年たった今も実現できていない」
 物語終盤の甚五郎は、鷗外の描いた「佐橋甚五郎」と重なる。甚五郎は、征夷大将軍になった家康の前に朝鮮の使いとして姿を現す。「甚五郎は、どの瞬間も自分自身に正直に生きていた。後ろめたさがなければ、人は強い」
 支配する側ではなく、草の根に生きる人々の目線で作品を書き続ける。「国家が編集した歴史は、その時の権力を正当化した見方で、悪いことはほとんど書かれていない。ならば、実際に何があったのかを想像して、小説にするしかない」
 視点を変えればものの見方も変わる。そんな考え方は、私たちの精神を自由にすることにも通じているという。
 「『これしかない』と思いつめると、人生はしんどい。そんな時に小説にできることがあるとしたら、別の角度から物事を見るということ。そんな作品になるよう、いつも願って書いています」(宮田裕介)=朝日新聞2018年7月11日掲載