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自分が必ず太田さんのリベンジを果たす フェンシング・松山恭助さん(後編)

文:熊坂麻美、写真:清永洋(競技写真は©朝日新聞社)

 中世ヨーロッパが発祥のフェンシングは、騎士対騎士の戦いから生まれた格闘技。日本代表の主将でありエースとしても活躍する松山恭助さんは、変幻自在の剣さばきと“チェス”を思わせるクレバーな駆け引きが光るオールラウンダーだ。

>「アイシールド21」の魅力を語る前編はこちら

 4歳の時、ふたつ上の兄・大助さんと一緒にフェンシングを始めた。フェンシングは二世選手が多いというが、松山さんの両親は「スポーツとは無縁のひと」。家の近所のスポーツセンターでフェンシングができると知ったお母さんが、息子2人に習わせるスポーツとしてこの競技を選んだのだそう。

 「母は僕たちの運動神経がいいと思っていなかったみたいで(笑)、それで周りに迷惑をかけない個人スポーツにしたみたいですね。それがきっかけですけど、僕は最初からフェンシングが面白かった。単純に剣で戦うのがかっこいいと思ったし、小さい頃からスターウォーズが好きだったので、ライトセーバーで戦っているみたいな感覚もあって」

 フェンシングに夢中になった松山さんは練習を積んで実力をつけ、小2の時に全国大会で初優勝。剣で戦う楽しさに加えて、勝つ楽しさを知ったことで「もう一度この感覚を味わいたい」と、より競技に打ち込んでいった。持ち味と自任する「頭を使うフェンシング」は、子供の頃から年上を相手に剣を磨き続けてきた賜物だ。

 「ずっと兄や大人たちと繰り返し練習で対戦してきました。自分よりパワーもスピードもある相手とどう戦うか、常に考えながら工夫しながらやってきたのが今につながっていると思います。戦術を立てて、試合の中で駆け引きをしながら戦っていく部分に今は面白さを感じています。
 僕は中学の時に読んでいた漫画『アイシールド21』のヒル魔みたいに、トリッキーな技や動きで相手を惑わせるのが好きなんです。相手の動きを読んだり、フェイントで罠にはめたりして一瞬のスキを突く。その瞬間が、やっていて一番楽しいときです」

 松山さんがいうトリッキーな技のひとつが「ジャンピング振込」。ジャンプしながら剣をしならせて相手の背中を突く、華麗なプレー。

 「ダイナミックな動きだから、見ている人にも楽しんでもらえる技だと思います。ただ、どの試合でもジャンピング振込をやるとはかぎらない。ほんとに一瞬一瞬のせめぎ合いの中で、経験則や体にしみ込んだ感覚で確実に決まる技を見極めて、狙って繰り出しているんです。まぐれで決まる技なんて、ないんですよ」

 フェンシングは、エペ、フルーレ、サーブルの3種目があり、松山さんの種目は、日本で主流というフルーレ。剣先での「突き」を有効として、背中を含む胴体が有効面。相手の剣をたたいたり払ったりすると「攻撃権」が得られ、攻撃権のある突きでなければポイントにならない。攻撃、防御、反撃、再反撃という瞬時の技の応酬が、フルーレの見所だという。

 とはいえ、フェンシングのスピーディーな攻防は素人目には速すぎて、どっちにポイントが入ったのかわからないことも。そんな観客のために、日本フェンシング協会は、最新技術を使って剣先の軌道を視覚化させる「フェンシング・ビジュアライズド」のシステムを東京五輪・パラリンピックに向けて開発中という。剣先の動きを追うことができれば、私たちは今よりもっと試合を楽しめるようになる。フェンシングの普及を目指してこうした改革を進めているのは、長らく日本フェンシング界の“顔”だった太田雄貴さん。太田さんは、松山さんにとっても大きな存在だ。

 「ナショナルチームで一緒にやったのは2~3年なんですけど、練習に対する姿勢や大会へのピークの合わせ方など、太田さんの姿を間近で見て学んだ部分はたくさんあります。自分は“ポスト太田”みたいに言っていただくことも多いんですが、いつか超えたい存在です」

 前回のリオオリンピックはトレーニングパートナーとして参加した。オリンピック独特の緊張感や雰囲気を肌で感じられたのはいい経験だったと、松山さん。そして、尊敬する先輩のまさかの初戦敗退が、メダルへの思いに火をつけた。これまで淡々と話してきた口調がほんの少し、熱を帯びる。

 「オリンピックにかける太田さんをずっと見てきたから、勝つ難しさも感じたし、自分ごとのようにめちゃくちゃ悔しくて。必ず東京オリンピックで自分が太田さんのリベンジをしたい。メダルを獲りたい。そう強く思えた瞬間でした」

 「東京オリンピックまで、もう足踏みできない」と松山さんは続ける。昨年はユニバーシアードで団体は優勝、個人でも2位になったものの、同年代の西藤俊哉選手や敷根崇裕選手らが世界選手権などで好成績を残し、少し遅れをとった。

 「悔しい思いもありましたけど、彼らとは仲もいいし、いいライバル。切磋琢磨してお互いのレベルを高めていけたらと思っています。僕個人としては、今シーズンは表彰台に上って結果を残したいです。自分はまだまだ成長の途上にいて、あと一歩で世界のトップと肩を並べるところまで来ている。強みである頭脳的なフェンシングの究極形を目指したい。そのためには戦術、技術、スタミナすべての面でレベルアップする。あまり時間がないので、必死にやっているところです」

 東京オリンピックでは個人でも団体でもメダル獲得が目標だ。偉大な先輩を超える「金色」も、もちろん狙っている。