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新生活 人生を変える本との出会い

川面を覆うように咲き満ちる桜

 仕事柄、初対面の方とご一緒する機会が多いのですが、新たな出会いに際し心がけていることがいくつかあります。そのうち三つが他者の立場を想像すること、相手の懐に飛び込むこと、自分のポリシーを曲げないこと。それを踏まえて今回三冊ほど紹介したいと思います。
 まず一冊目は、数年前に読んだ内田樹『寝ながら学べる構造主義』。難しいものも多い哲学書ですが、本書はまさに「寝ながら学べる」ほど平易な文章で分かりやすく、素人にも読みやすい。私たちはこう考えるけれど隣国の人たちはきっとこう考えるだろう、という今では一般的な構造主義と呼ばれる思考方法が確立されたのはここ五十年ほどだそう。人は自分の思考を主体的なものだと思いがちですが、僕たちがこのように思考するようになったのにはちゃんと文脈があるわけです。そこにいたる歴史も含め、非常に興味深く読ませる本でした。改めて自分の思考方法を考えるきっかけにもなり、他人のこともより理解できるようになったので、哲学に興味がある方はぜひ。
 興味はあるけれど哲学について何も知らないという方は、難しい哲学用語をイラスト付きで分かりやすく解説した『哲学用語図鑑』(田中正人著、プレジデント社・1944円)と合わせて読むのもいいと思います。

飛び込む覚悟

 二冊目は、不朽の名作レイ・ブラッドべリ『華氏451度』。本の所持や読書が禁じられた世界が舞台で、焚書(ふんしょ)をするファイアマンだったガイ・モンターグが、社会に疑問を抱くクラリスと出会ったことで本の魅力にとりつかれていく物語なのですが、その様は心地よく心に響きます。SFでありながらファンタジックすぎない文章も好みで、拙著『ピンクとグレー』(角川文庫・605円)に引用したほど気に入っている作品です。
 生きていると、様々な人と出会い、価値観がぐにゃりと捻(ね)じ曲げられてしまうような影響を受けることもあります。自分が変わってしまうのは怖いものですが、思い切って飛び込めば新たな世界が待ち受けているかもしれません。モンターグも初めは戸惑っていましたが、覚悟を決めてからは潔く、たくましい。自分もそのような機会を逃さず、人生を戦っていきたいと思うようになりました。

理想を高く持つ

 最後は『勝つために戦え! 監督稼業めった斬り』。「攻殻機動隊」などで有名な映画監督、押井守が関わりのある様々な映画監督の「勝敗」を勝手に、かつ手厳しく決めていくのですが、賛同できるかどうかはさておき一作家としては大変勉強になりました。常に作品を作り続けなければ、クリエーターとは言えません。一発のヒットだけではなく、長期的に成功を収めるためのヒントがここには書かれていました。
 本書には「戦術的勝利は、戦略的敗北を覆さない」とありますが、なかなか言い得て妙で、僕はこの言葉を忘れないように心がけています。細かい部分の技術がいくら秀でていても全体のプランがダメならばその作品は駄作。一作だけ成功してもその後の戦略がうまくいかなければ最終的には負けてしまいます。その上で重要なのは勝って兜(かぶと)の緒を締めることでしょう。これはクリエーターのみならず、すべてに言えることです。「人生は勝ち負けじゃない」という風潮になりがちですが、僕は負けず嫌いで理想が高いので、この本の勝敗論は生きる上でとても参考になりました。
 人生を変えた本はまだまだありますし、きっとこれからもモンターグのように様々な本に出会うでしょう。そんな幸せが待っているなんて、人生はとても素晴らしいではありませんか。=朝日新聞2016年4月10日掲載