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藤沢周平の短編 歳月経てなお光沢をたたえる

東京都内の自宅の書斎で(1994年撮影)。今年は没後20年、生誕90年にあたる

 繰り返し読んでも飽きない本が三十冊あれば退屈しないで生きていけるよ――数学者にして無類の本読みだった先達氏の言であるが、折々に思い出す。
 当方、比べていえば読書量はたいしたものではないが、「三十冊」は常々あったように思える。ただ、年齢とともにジャンルや好みも変わる。近年では、寝床に入ってつい手が伸びる、そんな本が私の三十冊になろうか。中に、藤沢周平氏の著は何冊か含まれる。

切なさを十全に

 士道、市井、歴史……を問わず、氏の作品には駄作がない。長編の名作も多いが、市井ものの短編を挙げておきたい。もっとも藤沢的な色調が滲(にじ)み出るように思えるからである。
 藤沢作品の特徴に精緻(せいち)な情景描写がある。いつしか登場人物の心象風景とも重なって物語がすすんでいく。「暁のひかり」はそんな一編。
 市蔵は賭場(とば)の壺振(つぼふ)りだ。朝帰りの路上に、疲れと倦怠(けんたい)を掃き清めてくれるような、朝の日が差している。大川の河岸(かし)で、竹棒を使って歩く稽古をしている足の悪い少女と出会う。
 けなげで「気持ちのいい子」だった。路上での出会いが重なる中、元鏡師だった市蔵は手鏡を作ることを約束する。やがて少女を見なくなり、病で亡くなったことを知る。理不尽な定めに憤りに駆られ、市蔵は懐から鏡を取り出し石に叩(たた)きつける。
 翌年の夏の朝。中盆(なかぼん)の指示でいかさまを仕組んだ市蔵は、渡世人たちに追い詰められる。ラスト、こう締められている。
 〈赤味(あかみ)を帯びた暁の光が、ゆっくり町を染め、自分を包みはじめているのを市蔵は感じた〉
 「おつぎ」は、切なさという藤沢作品の調べを十全に伝えてくれる一編。
 三之助は畳表問屋の若旦那。料理屋の会合で、女中をしている幼馴染(おさななじみ)のおつぎと出会う。往時、川掃除を業とする老人の孫娘であったが、三之助には悔恨があった。老人が隠居殺しの容疑で引っ張られたとき、怪しい別人を目撃しながら番屋に行けなかった。再会し、悔いを告白する。これっきりかね、と問う三之助におつぎは応える。
 〈おつぎは坐(すわ)り直して三之助を見つめた。そして黙って手を出した。言葉のかわりに手をさし出す癖が残っていた〉
 おつぎが姿を消す。借金の棒引きを含みに、大手畳表問屋の娘と三之助の縁談をすすめる母に脅し上げられたからに違いない。三之助はおつぎを探して夜の町をさまよう。「もう一度、おつぎを裏切るようなことになれば、おれは人間ではない」とつぶやきながら。

書きものの職人

 「驟(はし)り雨」は、人の心の動きの妙を捉えた人情話風の一編。
 研(と)ぎ屋の嘉吉の別稼業は盗人である。闇夜、神社の軒下で、俄(にわ)か雨が通り過ぎるのを待っている。雨がやみ次第、向かいの大津屋に忍び入るつもりが、若い男女、ヤクザ風の二人、さらには病身の母と子が現れ、出るに出られない。はやく消えちまえ、といらいらして待つが、母と子の気の毒な身の上を洩(も)れ聞(き)いてしまう。
 嘉吉には身ごもった女房を失った過去があり、それが裏稼業へ入る遠因だった。思わず軒下から飛び出し、病身の女を背負い、子供の手を引いていた。
 〈ついさっきまで、息を殺して大津屋にしのびこむつもりでいたなどとは、とても信じられなかった。雨はすっかりやんで、夜空に星が光りはじめていた〉
 ――先頃、藤沢氏の長女、遠藤展子(のぶこ)さんに会う機会があった。「父は書きものの職人だったと思います」という言葉に首肯しつつ浮かぶものがあった。歳月を経てなお色褪(いろあ)せずに光沢をたたえている、そんな調度品の名品をつくった指物師のごとき像である。=朝日新聞2017年1月22日掲載