1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. 沖縄の声 痛覚と道義の復活を求めて

沖縄の声 痛覚と道義の復活を求めて

米兵の少女暴行事件に抗議する沖縄県民総決起大会=1995年10月21日、沖縄県宜野湾市

 今日19日、沖縄では女性暴行・殺害事件に抗議する県民大会が開かれる。その会場、事件を生んだ歴史、そして未来にむけ、どんな言葉を送れるだろう。
 以前、学生たちの会話を耳にした。「沖縄の人たちってよく『県民大会』するよね」。そう。誰いうとなく人びとが自発的に結集し、米軍や日本政府に抗議する数万人の大集会――始まりは、住民に餓死を迫るような米軍政の経済政策と戦った1949年の「民族戦線運動」。以来、怒りと悲しみに満ちた抗議の叫びや、巨大な人波で生存への意志を表せたことを喜ぶ歌ごえが、何度となく沖縄の空に響いてきた。人びとは経験を重ね、意志を通わせ表す方法を熟達させてきた。
 今年3月に新基地建設の工事を中断に追いこんだ原動力もそこに発していた。辺野古の米軍基地ゲート前は毎日がミニ県民大会の様相で、県内、全国、世界から党派や肩書・世代をこえて個々人がつどい、工事車両の前に立ちはだかった。
 ネットなどに広がる根拠のない「うわさ」的言論や誤解に対抗する方法も、成熟をみせた。『それってどうなの? 沖縄の基地の話。』は、最新の研究成果を読みやすく、全56ページにまとめた。ネット検索すれば無料でダウンロードできるが、冊子版は「辺野古基金」を活用し、廉価で頒布されている。
 かように力と自信をつけてきた沖縄で今回の事件は起きた。生命にかかわる何かが、まだ足りなかったのだ。それは何か。

強いられた沈黙

 95年の米兵3人による少女暴行事件は、現在の沖縄平和運動の起点となった。同時に、この事件をきっかけとして新たな学問ジャンルがひっそりと立ちあげられた。その宣言の書が、『おきなわ女性学事始』だ。
 薩摩の琉球侵攻に始まって沖縄戦、戦後の占領の継続へと連なる、主体的であることを否定された歴史空間のもとで、さらに社会に犠牲と沈黙を強いられてきた沖縄女性たち。彼女たちの生は断片的な記事や小説などにしか記録されていない。「おきなわ女性学」は、その断片に寄り添い精査しながら、「語ることなく死んでいった人たちの未生(みしょう)の物語り」を言語化し、その言葉と問いにおいて、私たちが慈しみと愛を取り戻す作法を磨いてゆこうとする。
 それは誰か犠牲者を例外的なシンボルに祭り上げるのでなく、国家や民族といった権力体から排除されるいのちの寄る辺なさを絆として、今昔の沈黙の狭間(はざま)から暴力に抗する社会性を今紡ぎ出そうとする、〈復活〉のための学問だ。痛みを分かち合い、人としての尊厳をともに担う意志が、思想の核にある。

「日本の独立」も

 基地をめぐる日本・沖縄間の政治をいかに変えていくかは、長年の難題だ。シェークスピアから『ガリバー旅行記』まで名訳を遺(のこ)した英文学者・中野好夫は、現在と未来への指針ともなる言葉を『沖縄と私』(72年刊)で記してくれている。自ら牽引(けんいん)した沖縄返還運動が、米軍基地の温存に行きついたとき、こう言う――「ことにおいて絶望せず」。返還後に始まる新しい沖縄問題、「当然それは米軍基地の縮少、そして完全撤退に向かってである」。「主導は一に沖縄の心にまかす。もし県民こぞって独立を決意するというなら、それをもよろこんで支持するつもりだ」
 その先に「連邦制度なるものの妙味」を沖縄・日本で試してみてはどうか。敗戦以来の対米属国化を断ち切る日本の独立も、そこに遠望できるやもしれぬ。帝国主義も共和制も生み出した欧州精神文化を知悉(ちしつ)する硬骨の市民学者は、そう見定めていた。
 今の私たちに、人としての痛覚と道義性はあるのか――いくつもの遠い声がきこえる。=朝日新聞2016年6月19日掲載