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被災地で読む 心ひかれた、生き物の逞しさ

地震で一部が崩壊した熊本城の飯田丸五階櫓(やぐら)=熊本市中央区、同市提供

 東日本大震災のときの自分の体験を振り返ると、ふた月ちかくは本が読めなかった。親しい編集者が『方丈記』(鴨長明著、ちくま学芸文庫など)を薦めてくれ、ようやく活字に浸る久しぶりの体験をしたのだが、これは今思うと邂逅(かいこう)とも言うべき『方丈記』との再会であった。身近に震災を経験し、ようやくその簡潔な叙述に込められた深い意味に気づいたのである。
 いま、熊本や大分で被災した方々に、お薦めしたい本を挙げてほしいという。私自身は『方丈記』から吉村昭氏の『三陸海岸大津波』(文春文庫・473円)に進み、さらに益田勝実氏の『火山列島の思想』(講談社学術文庫・1102円)を読んだのだが、起こっていることも違うし、それぞれの人生観だってさまざまだ。同じものを薦めても仕方がないような気がする。

苦しみの相対化

 あのときは確か、六月頃に文藝春秋の編集者が被災地のために何かしたいと言ってきた。私は迷わず「それなら避難所に本を送ってほしい」と頼んだ。つい今し方、彼女に電話して「あのときの本のセレクションは分かりますか」と訊(き)いてみたのだが、「覚えていない」という。しかし彼女は、「あらためて今選ぶとしたら、明るく元気になるような結末の、フィクションだと思います」というのだが、どうだろうか。
 私自身は、とにかくフィクションに手が出せず、事実に基づいた文章から入っていった気がする。周囲の現実が圧倒的に変化していたから、たぶん虚構には入り込めなかったのだろう。
 そして私は、次第に虫や動物、植物などに興味を移していった。震災も含めた自然の変化に対し、これほど逞(たくま)しい生き物はないと思えたからである。日高敏隆氏の『動物は何を見ているか』や『動物と人間の世界認識』(ちくま学芸文庫・907円)なども、そんなとき出逢(であ)った。被災して自分の苦しみばかり絶対化していく状況では、たとえば『ネコはどうしてわがままか』(新潮文庫・464円)なども刺激的なはずである。
 植物のパワーを感じるには、これは震災2年後の刊行だが、遺伝学者による『植物はそこまで知っている』が本格的である。何と言っても植物は、基本的にその場で動かずに生きる覚悟をした生き物だから変化に強いのだ。
 どんどん苦しみを増殖させていく人間の脳機能。それを冷静に観察するには、動物や植物に関する本のほかに養老孟司先生の著作なども読んでみたらいいかもしれない。どれも面白いが、この際は『かけがえのないもの』(新潮文庫・497円)や『養老孟司特別講義 手入れという思想』(新潮文庫・594円)などがお薦めである。

「あはれ」の心情

 いずれにせよ、いま被災地では、そんな気にはならないという人も大勢いることだろう。無理をすることはない。普段から読書の習慣のある人なら、いつかきっと何かが読みたくなる。そのときに僅(わず)かでも参考になればと願うばかりである。
 ちなみに、私は震災をきっかけに「あはれ」や「無常」といった日本文化の基底にある仏教的ともいえる心情にあらためて触れたような気がする。「あはれ」は鎌倉時代になると「哀れ」と「天晴(あっぱ)れ」に二分することになるが、熊本地震の被災地からもどんどん「天晴れ」な話が聞こえてきてほしい。和辻哲郎氏の『風土』によれば、起こってしまったことへの諦めは極めて早いのに、けっして努力を怠らないのが我々モンスーン住民の気質だというし……。=朝日新聞2016年5月15日掲載