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アメリカ大統領選 疑似共同体作る空気に危機感

クリントン氏とトランプ氏の討論会の中継をパブリックビューイング会場で見る人々=9日午後8時17分、米セントルイス、矢木隆晴撮影

 今年の米大統領選の混乱ぶりを見るにつけ、あれは一体なんだったのだろうと信じがたい思いがする。8年前、バラク・オバマ現大統領を誕生させたあの熱狂と興奮である。
 彼が支持された主因はなにより「対立を越えたひとつのアメリカ」の夢を高らかに語ったこと。上院議員1期目の途中に過ぎない若い政治家が、持ち前の弁舌で独走し得たのもこの理想主義の力だった。
 しかしいま、夢は霧散した。「初めての女性大統領」を実現するはずの、民主党のヒラリー・クリントンは反乱する若年層の不支持に苦しみ、対する共和党も“獅子身中の虫”ドナルド・トランプの跳梁(ちょうりょう)で四分五裂。全米では警察の過剰暴力への抗議が吹き荒れる。
 なぜこんなことになってしまったのだろう。背景になるポイントは三つある。人種、階級、そしてメディアである。

人種の壁克服?

 そもそもオバマは「初めての黒人大統領」といわれるが、彼自身は当初から人種を争点にせず、差別の克服と融和を呼びかけた。ところがそこに白人保守派からの「黒人大統領を実現させたアメリカは既に人種問題を克服した」とする論理がからみつく。「脱人種」の理念が「人種問題を脱した」と読み替えられ、転倒させられたわけである。
 この「脱人種」の錯誤を含む政治と社会思想の複雑な様相を論じたのが上坂昇『アメリカの黒人保守思想』。南北戦争後から始めて、オバマ政権下で民主党が大敗した2010年中間選挙と黒人共和党員の動向を14年夏まで丹念にたどる。
 被差別の立場にあった黒人層が「割れた」契機が、差別是正措置(アファーマティブアクション)への評価。都会の黒人地区が貧困と犯罪で苦しむ中、成功を手にした一部の黒人中流層の間で、是正措置はかえって「人種の誇り」を奪い、福祉へ依存させるとした議論が生まれる。10年は茶会党(ティーパーティー)の跋扈(ばっこ)が物議をかもした年だが、「自助」や「自己責任」をさけぶ黒人保守派が突きつけた問いは茶会党より手ごわいのである。
 なお多人種・多民族のアメリカが社会の統一に向けて重ねた試行錯誤の歴史については南川文里『アメリカ多文化社会論』(法律文化社・3024円)が精確(せいかく)な見取り図を示してくれる。

失われた「紐帯」

 ところで今回の選挙戦では、トランプ支持層が「低学歴・白人・男性」中心だと報じられた。これはチャールズ・マレー『階級「断絶」社会アメリカ』がいう「新下層階級」と重なる。
 オバマ再選の年に論議を呼んだ本だが、格差拡大や共同体の衰微などの論点は目新しくない。が、リバタリアン保守の著者は格差を社会的美徳に関連づけ、高潔な義務感のない高学歴集団が「見かけ倒しのエリート」をなし、労働者階級は貧困に沈んで「結婚、勤勉、正直、信仰」と無縁の「新下層」に転落したと主張。この危機が白人社会を直撃し、昔ながらの地縁を介した堅実な庶民のアメリカが消滅したと断じた。リベラルの社会学者らが指摘してきた論点が、保守論客ならではの毒々しい物言いで変奏されたのである。
 おそらく今日のトランプ現象の主役はこうして市民的紐帯(ちゅうたい)を失ったまま、テレビやネットの前で「仲間」を見いだした人々でもあるだろう。それはいわばメディア観客の疑似共同体だ。
 町山智浩『さらば白人国家アメリカ』はこの疑似空間における主観世界の風景を描き出す。やじうま的サービス精神と生来の正義感が著者の持ち味だが、今回はアメリカで子育てもした一人の生活者としての、トランプ現象への切迫した危機感が行間から伝わってくる。テレビもネットもグローバル。けれど本当の「空気」は、その地に足を着けてなければわからないのだ。=朝日新聞2016年10月30日掲載