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キューバ革命の理想を本で知る 人生を捧げた名もない人たち

カストロ前国家評議会議長の追悼集会で、肖像画を掲げる人たち=昨年11月29日、キューバ・ハバナ

 キューバ革命の指導者、フィデル・カストロの死去が公表された昨年11月25日、筆者は米国に向かう飛行機の中にいた。マイアミのキューバ系米国人は彼の死去を祝っていたが、彼が死んだことで、いい方向に変わる展望が開けるわけではない。一昨年7月の米国との国交正常化後も、経済はゼロ成長に近い。

夢あふれた時代

 1959年に革命が達成された当初、多くのキューバ人がカストロの演説を聞き、彼の主張を支持した。米国の脅威から革命体制を守るために民兵が組織され、売春や賭博などの社会悪は一掃され、再教育が行われた。人々がこの方針に進んで従っていた様子を、堀田善衞『キューバ紀行』は生き生きと伝えている。確かに、多くのキューバ人が新しい社会を作ろうと意気込み、夢と理想にあふれていた時代があったのである。カストロの功績は、キューバ国民を、革命の理想に向けて献身するよう説得したことにある。
 田沼幸子『革命キューバの民族誌』(人文書院・6480円)には、革命に失望して国を出た若い世代のキューバ人が、革命の理想を他国でも広げようとする様子が描かれている。
 ラテンアメリカの多くの国は、今も19世紀の欧州のような階級社会を残し、異なる階層の国民は異なる国の国民であるかのように、交わることなく一生を終える。若いキューバ人はこれに違和感を覚え、話しかけるべきでないとされる階層の違う人たちに話しかけ、革命の平等の理想を移住先で体現しようとするのだ。
 フィデル自身は早くに親元から離され、学校教育を受けている。その過程で苦労した様子が自伝でも語られる(『フィデル・カストロ自伝 勝利のための戦略』)。
 フィデルの母は父の大農園の邸宅で働き、フィデルが成人する頃まで、結婚していなかった。本宅には本妻とその子供たちが暮らし、彼や兄弟たちは肩身の狭い思いをしていたであろう。革命後、フィデルは父の農場も遠慮なく国有化するが、革命の原則を貫く姿勢とともに、父へのルサンチマンを読み取ることもできる。『カストロ家の真実』によると彼は生涯、家庭を顧みなかったようだ。

裏切られた期待

 筆者とキューバの付き合いは26年になるが、2年ほど前に亡くなった二人の友人は、文字通り革命に人生を捧げた。一人は外科医の男性で、自転車で病院に通っていた。物欲がなく、自慢をせず、患者を救うために身を粉にして働いた。もう一人は元教育委員の女性で、革命後、親の反対を押し切って識字運動に参加した。しかし晩年、彼らの革命に対する考えは、幻滅の一言であったと思う。
 キューバ革命を今日まで支えたのは、フィデル・カストロではない。彼が提案した革命の理想に共感し、自身のためには多くを望まず、理想の実現のために人生を捧げた、名もないキューバ人の努力の成果である。しかし今日、革命体制は、国民を平等に貧困にする以上の生活水準を実現できず、なし崩しに格差を容認し、大幅な経済改革をするでもなく、高官は汚職に走っている。若いキューバ人は、米国移住に人生の夢を賭ける。
 フィデルは、私の友人たちのような真の革命家の期待にこたえることなく世を去った。残された人々の胸には不安が渦巻いている。友人の一人は、亡くなる直前に「革命に裏切られた」と漏らしたそうだ。生涯をかけた革命に対して、いまわの際の感想がそれでは悲しすぎる。
 キューバ政府は彼らに反論する義務がある。すべての人々が尊厳を持ち、人間らしい生活ができる社会のビジョンを、次世代の指導者は提示できるか。それはまだ見えないのである。=朝日新聞2017年1月29日掲載