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不穏さと美しさをたたえた、珠玉のゴースト・ストーリー 大濱普美子「十四番線上のハレルヤ」

文:朝宮運河

 幻想文学ファンの間でひそかな話題を呼んだデビュー作『たけこのぞう』から五年。新鋭・大濱普美子の第二短編集『十四番線上のハレルヤ』(国書刊行会)が刊行された。前作同様、日常の向こうに見え隠れする異界の存在を、巧みにすくいとった六編を収録する。

 巻頭作「ラヅカリカヅラの夢」がとにかく素晴らしい。五年ほど前、海辺の街に越してきた米子(よねこ)は、翻訳者として生計を立てている中年女性。山の上のアパートを借り、ときおりジャズ喫茶や食堂に顔を出して、古い住人たちと交流する。淡々とくり返される米子の毎日は、現代日本を描いているとは思えないほど、静かで満ち足りたものだ。

 そこにふと、奇怪なエピソードが立ち現れる。ある家庭に現れたザシキワラシ。水死した少女と会話する老婆。食べると妊娠するラヅカリカヅラの実。半ば眠ったような海辺の街はそれらをまるごと呑みこみ、現実と非現実のあわいで揺らめき続ける。ノスタルジックで、暗鬱な雰囲気がたとえようもなく魅力的な幻想譚だ。

 大濱作品でしばしば描かれるのが、死者が現世に向けるまなざしである。「補陀落葵の間」では古めかしい旅館に移り住んだ一家を、この世ならぬ女性が見つめている。「鬼百合の立つところ」では元恋人の暮らすマンションを幽霊が凝視する。もしかすると墓地のある山の上に住みついた米子もまた、死者の一人なのかもしれない。

 表題作「十四番線上のハレルヤ」は路面電車内でのささやかな奇跡を描いた小品だが、「私の両親は霊能者だった」という冒頭の一文が、ただならぬ気配を漂わせる。桜に導かれてそぞろ歩く女性を描いた「サクラ散る散るスミレ咲く」にしても、バーチャル・リアリティを扱った「劣化ボタン」にしても、いつも死の影が揺曳しているのだ。

 端正な日本語で綴られた物語は、小川洋子の作品がそうであるように、安易なジャンル分けを拒むけれど、わたしはこれをある種のホラーとして読んだ。不穏さと美しさをたたえた珠玉のゴースト・ストーリーは、暑い真夏の夜の読書にぴったりである。

 一九五八年生まれの著者については、慶応大学卒業後、パリ第七大学で学んだこと、九五年よりドイツ在住であることくらいしか分からない。この超然とした作風がどんな背景から生まれてきたのか、著者に尋ねてみたい気もするし、謎は謎のままにしておきたいような気もする。