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戦火を生きる人々支えた命のグルメ 漫画「戦争めし」魚乃目三太さん

文:加賀直樹、写真:斉藤順子

――『戦争めし』は1話完結の短編オムニバスですね。最新4巻では、神風特別攻撃隊の「航空弁当」の物語、ノモンハン事件下での「卵かけご飯」の物語など6編が収録されています。1~3巻でも、戦艦大和のオムライス、闇市のコロッケなど、最前線や銃後の人々の悲喜こもごもが、食べ物のリアルな描写とともにズシリと伝わってきます。そもそも、「戦争と食」を題材に描こうと思ったのはなぜですか。

 きっかけは1枚の絵でした。あるお爺さんが描いた絵を、テレビニュースで見たんです。10年ほど前のことです。当時の僕は、漫画の仕事が四コマ作品1本しかなく、いつ打ち切られてもおかしくない状況でした。そのお爺さん、南方戦線を生き延びたらしいのですが、悲惨な体験を思い出したくなくて、家族にすら戦争体験を語ってこなかったそうです。

 でも、月日が経ち、残された人生のことを考えた時、「やっぱり語りたい、伝えたい」と。ただ、ご高齢で、今さら文章が書けるわけでもない。そこでお爺さんが出した答えが、絵を描くことだったそうです。その絵を僕はテレビで見て、釘付けになりました。

――どんな絵だったのですか。

 ジャングルを裸で逃げながら飯盒を持って、死にそうな顔で逃げている絵。仲間が水を飲みながら死に、みるみる白骨化している。顔面蒼白で逃げるその手には、銃も武器もない。ただ必死に、飯盒だけを持って逃げているんです。

 疑問が沸きました。飯盒には何が入っているのだろう。だいいち、裸で逃げるのに、敵にやられるかも知れないのに、なぜ、銃を持っていないのか。飯盒だけしか持っていないのか。

――その疑問こそが、「戦争とごはん」を創作テーマにしようと思い立った瞬間だったのですか。

 もともと戦争漫画を描きたいという気持ちはあったんです。でも、たぶん描けないなと思ってしまっていた。人が亡くなるような、殺し合うようなものは描けない。だけど、戦時中、ひもじかった思いとか、ごちそうを食べた時の喜びとか、そういう心情は描けるだろうなと思ったんです。

――こうして始まった『戦争めし』は現在も、「ヤングチャンピオン烈」で連載続行中です。ある一つの出会いが、作品を続けていく上での大きな示唆を与えてくれたそうですね。

 「なぜ飯盒だけを持って逃げるのか」。あの絵の謎を、じつは漫画家の大先輩・ちばてつや先生が解いて下さったんです。先生は旧満州(現・中国東北部)奉天からの引き揚げを経験されています。第3巻の「ちば少年の引き揚げめし」の物語に登場して下さいましたが、その取材時、「飯盒って大事だよね」と。

 「水を飲むのに必要。水を貯えられる。もちろん飯を炊けるし、食べる時は器になる。飯盒があれば生きられるんだ」って。その言葉が身に染みた。あの絵の理由がそこで初めて分かったんです。

 漫画家って、とかくドラマティックな話を考えがち。僕、「飯盒に同胞の骨を入れる」とか、無念の死を遂げた同胞の指一本でも日本に還してやろう、とか、そんなことを想像していた。だけど、「飯盒があれば生きられる」ってその言葉が一つの大きな示唆になった。「食べることが生きること。戦争って、カッコいいこと言っていられる場合じゃないんだ」と。

――とかく物語に感動を求めてしまいがちだけれど、もっとプリミティブな「生」への渇望。

 ちば先生の言葉でやっとわかったんです。 

――「食べることが生きること」。戦地で、空襲下で、疎開先で、一つひとつの物語の根底に、まさにそのテーマが流れていますね。創作活動を通じ、何か新たな発見はありましたか。

 『戦争めし』第1巻が刊行された時は、じつはこの1冊で終える予定だったんです。担当編集者といっしょに、馴染みの居酒屋さんに行って、親父さんに「単行本が出ましたー!」って話をして、見せて。そこで飲んでいたら親父さん、「いい話ですね。……たとえばの話なんですけど、私、昨年……」って話が始まったんです。

 いわく、親父さんが真夏のある日、靖国神社に参拝したその帰り、お蕎麦屋さんに行ったそうです。そうしたら隣のテーブルで、おでんを頼んだ男性がいた。「この暑い最中に」と思って見ていると、その男性、出されたおでんをじっと見つめ続けていたそうです。長い時が過ぎ、やがて彼は泣きじゃくり始めたそうです。その話を聞き、僕は強く胸を打たれて。

――第2巻「真夏のおでん」の物語に繋がっていくのですね。昭和19(1944)年3月、インドとミャンマー(ビルマ)の国境付近の戦地で起こった、悲しいエピソード。

 第1巻を描かなければ、その本を居酒屋の親父さんに見せなければ、埋もれたままだった話かもしれない。思わぬところからいろんな話が聞ける。「こんな話があるよ」って教えて下さる機会がとても増えたんです。今年になってからは、近所に住む特攻隊の生き残りの方にお話を聞くことができました。90歳を越えていらっしゃいます。

――じつは私、かつて朝日新聞の投書欄「声」欄で、戦争体験を読者が語りつぐ連載の担当記者をやっていたのですが、とりわけ戦時下の「食」にまつわる投稿がとても多く、ひとたび紹介すると全国から反響も多かった。人間って「食に関する思い出」という独特のフォルダがある気がするんです。何かのきっかけがあるとそれが開き、思い出が無限に広がっていく。

 僕自身の経験もあります。お手玉に入ったあずきを出兵前夜の「善哉」としてほおばる話(第2巻)。モチーフは、うちの亡くなったおばあさん。僕が小学生の頃ですけど、夏休みに泊まりに来て突然、お手玉を編み出して、あずきを中に入れたんです。「おばあちゃん、何であずきを入れるの」「戦争中に非常食として食べられるように、こんなふうにあずきを持たせたんだよ」。大阪の物語になっていますが、うちのおばあさん、大阪出身なんですね。

――物語は、「まるっと実話」というのではなく、史実をモチーフに、ご自身で脚色をされている。

 そうですね。ノンフィクションもありますし、そうでないのもあります。

――各々の物語の「種」は史実で、そこに脚色の枝葉を付けるイメージ。物語をつくる上で、そして検証する上でのリサーチ作業って、どのように行っているのですか?

 最初は図書館でした。今はインターネットも使いますが、ほとんどは図書館です。戦争関連の本をひたすら読み込んでいく。それこそ、朝日新聞の戦時中の紙面を見ると面白いですよ。料理のレシピとか載っていたりして。

――それで思い出しました。聞こうと思っていたのですが、そもそもなぜ魚乃目さんは「食」の漫画を描き続けているのですか。何かきっかけが? ずっと読んでいた料理漫画があったとか。

 きっかけは……奥さんに「食漫画を描いたら」と言われたのがきっかけです。奥さん、料理人なんですよ。フレンチとイタリアンを経て、今はカフェを自営でやっています。昔、僕が連載を持っていない時、もちろん貧乏で「夫婦で食べ歩き」なんてラーメンぐらいしかできなかった。ひょっとして、「食」を題材とする漫画を描けば、担当編集者さんにご飯に連れて行ってもらえるかも知れないと思ったんですね。

――(笑)、だからなんですね。人間の描画はほんわかとしている一方で、料理はあくまで緻密で、まるで浮かび上がってくるようなタッチ。食指をそそります。そのコントラストの妙も作品の魅力。すぐ近くに構想を支えて下さる存在がいらっしゃるのですね。ところで、「魚乃目三太」というお名前、ペンネームですよね?

 本名は小鯛光彦と言います。大学を卒業後、ゼネコンに入って、関西で現場監督をしていたんですけど、漫画家にずっとなりたかった。でも、なかなかなれない。まずは名前を変えなくちゃ、と。人生の底辺から這い上がりたくて、ゲンを担ぎたいから、「踏まれて立ち上がる」という意味を込め、足にできるウオノメとか、芝生とかで考えて。本名の「小鯛」から、魚にも関連付けたくて、こうなりました。それから「光彦」の「光」を「三」にして、あとは「太く生きればよいや」と思って「三太」に。自分で考えました。

――『戦争めし』は毎年1冊ずつのペースで刊行が続く人気シリーズになりましたね。

 ちばてつや先生の取材時、「同じ引き揚げ仲間との会合があるから見ていって」と誘われ付いて行ってビックリ。『釣りバカ日誌』の北見けんいち先生、『ロボタン』の森田拳次先生、『BARレモン・ハート』の古谷三敏先生がいらっしゃった。全員、中国大陸からの引き揚げ者でいらっしゃるそうです。

――大御所の先生ばかり!

 その大先輩から口々に声を掛けて下さったのが、「どんどん描いてくれ」「僕たちは年老いた。若い君たちにどんどん描いてほしい」と。戦争体験者の方々へのインタビューでも、そうした言葉をかけて下さる機会が増えたように思います。

 広島の原爆ドームや、戦争にまつわる記念館などにいらっしゃる「語り部」の皆さんは、「戦争を二度としてはいけない」という強い思いから、痛々しい体験を語られる方が多い。もちろんそれも大切ですが、僕の家の近くに住む下町のおじさんは、明るくたくましく、当時、何を食べたかとか、そんな話を酒の席でしてくれる。僕の家の近くに隅田川の橋があるんですね。ある橋の欄干に空襲で焼けた人間の痕が付いていた。そんな話でさえ、酒席で聞かせてくれる。そういう話って、拾えばきっといっぱいあるんじゃないかな、って。僕のお父さんは広島出身で、原爆爆心地の6キロぐらい離れた所に住んでいたので、「ピカッと光ったのは見た」と言うんです。身近な人の、つらい体験もあれば楽しい体験もある。そういうのを一つひとつ探ってみたいと思っているんです。

――しかも、今じゃないと。もしかしたら、あと10年後には聞けないかも知れない。

 特攻隊とか南方戦線、シベリア抑留を経験された方々などは特に……。息子さんの世代でさえ高齢になっています。僕自身、まったく知らなかったことが多すぎる。例えば、ハワイやカリフォルニア在住の日系アメリカ人。僕も調べを進めるうち、彼らがどんなふうに戦争に関わって来たかも知らず、よく常夏の島ハワイなんて旅行できるよなって思った。

 僕が生まれる直前にやっと沖縄が返還された。日本兵のなかに朝鮮半島出身の人がいた。それさえ知らない人がいる。同様に、よく知らないまま大人になってしまった僕が、ちょっとでも分かりやすく、かみ砕いて描ければと、頑張ってやっています。ちば先生に言われましたが、僕自身が「そういうことを伝えていける人」になっていけたらと思っています。

――NHKBSプレミアム終戦特集「戦争めし」が放映されますね。漫画の世界と並行して、魚乃目さん自身をモチーフとした主人公の葛藤が描かれる。

 まさか僕が主人公になるとは思っていませんでした。番組プロデューサーは長年、戦争ドキュメント番組を撮っていて、特に10~20代が戦争に興味がなく「戦争離れ」が著しいことに懸念を抱いているそうです。「戦争とごはん」という切り口なら若い世代のフックに引っ掛かるかも、と。僕の仕事が少しだけ役に立つのかなと、今、思っています。

――ドラマ化に際し、「これだけは活かして」「ここを強調して」ってオファーをされたのですか?

 ないですね。どっちかと言ったら、史実に基づく再検証の作業が何度かありました。漫画と実写ドラマの融合した、珍しい仕掛けのドラマだそうです。じつは完成作品をまだ見ていないんですよ。放映日まで見られないんです。この先、「あのドラマで見たけど、じつは俺にはこんな体験があって」なんて、話の輪がまた広がっていったら嬉しいなと思っています。