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「半分、青い。」で再注目、くらもちふさこの漫画に酔いしれる

 NHK連続テレビ小説「半分、青い。」に秋風羽織が登場した時、少女マンガ好きの私はあっと驚いた。豊川悦司演じる、お茶目で偏屈で才能あふれる人気マンガ家・秋風羽織。その作品として、くらもちふさこのマンガが使われていたからだ。

 くらもちは1972年に「別冊マーガレット」でデビュー。以来、少女マンガの表現を革新しつづけているマンガ家だ。本当は女性であるくらもちの作品が男性作家の作品としてストーリー上扱われたことなど、ドラマにひっかかる部分がないわけではない。ただ『半分、青い。』のストーリーは、主人公・鈴愛が秋風先生の作品に影響を受けて一時マンガ家になるというもの。<1971年生まれの女の子が「世界の扉が開いた」と感じるほどドハマリする作品は、どうしてもくらもちのマンガでなければならない>というドラマの作り手のこだわりもわかる気がする。くらもちのマンガには、そういう唯一無二の思いを抱かせる魔力があるのだ。

 ドラマの中で鈴愛が最初に出会う秋風先生の作品は『いつもポケットにショパン』(80年~81年発表)。くらもちを初めて読む人にまずオススメしたいのも、この音楽マンガだ。

 主人公の麻子と幼なじみのきしんちゃんは、それぞれの母親が有名ピアニストとその元ライバルという関係。徐々に音楽にのめりこんでいく麻子たちの成長と恋が、親との葛藤をからめてドラマティックに描かれている。

 よく言われることだが、音がしないはずのマンガなのに、『いつもポケットにショパン』を読むと「聞こえる」。演奏シーンは子供時代の優しい思い出と重ねて表現され、キラキラした音色がこぼれだす。しかも最もありありと聞こえるのはピアノではない。きしんちゃんのポケットに入っている小銭の音なのだ。

 くらもちの描く男の子たちはいつもかっこいいのだが、何を考えているのか心の中がよくわからない。そこがとてもリアルで、読みながら主人公と一緒になって不安やときめきを感じてしまう。そんな「くらもち男子」の代表のような男がきしんちゃんだ。わけあってしばらく離ればなれの時間を過ごした麻子ときしんちゃんは、なかなか心を通わせることができない。だが、ポケットに雑に放り込まれた小銭の音がチャリ…と鳴ると、きしんちゃんの人間らしい温かさが垣間見えて心が震える。小銭の音はさりげなく描かれているので、ぜひ耳を澄ませて「見て」ほしい。日常的な感覚と結びついたストーリーの説得力に圧倒されるはずだ。

 『いつもポケットにショパン』が発表された80年代には、最高に素敵な「兄」とのラブストーリー『東京のカサノバ』(83年~84年発表)や、少女マンガなのにちょっと暗い男の子が主人公の『Kiss+πr2』(86年~87年発表)など、ドキドキせずにはいられない斬新な名作がめじろおし。電子書籍であれば今も多くの作品が読めるので、鈴愛が律に次々コミックスを借りていった『半分、青い。』のように作品を追いかけていくのもオススメだ。

 青春時代にこれらのマンガが好きだった人には、最新作『花に染む』(2010年~16年発表)を推薦したい。神社の息子で弓道の名手でもある謎めいた青年・陽大と、「親友」の花乃ら彼を取り巻く三人の女性たちの物語。トラウマを抱えた陽大の心の行方を追うくらもち流ミステリーだ。

 くらもちのマンガでは、真実はいつだってセリフ以上に描写の中にある。『花に染む』はその真骨頂。陽大は誰を好きなのか。辛い過去は乗り越えられるのか。細かい表情やエピソードを何度も読み返し、自分なりの「読み」ができあがったところで、誰かと結末の解釈について思い切り語り合いたくなる。デビューから45年をすぎてなお新しい表現を模索するマンガ家の現在がここにある。

 そして、今年みたいに暑い夏休みに読むのなら、代表作とも呼ばれる『天然コケッコー』(1994年~2000年発表)ははずせない。舞台は山と海に囲まれた田舎の村。地元で育ったそよと東京から来た転校生・大沢くんの恋が、村の人たちの様子とともにゆっくりと描かれている。ジャンルとしてはラブストーリーなのだが、このマンガはただ闇雲に恋にときめくだけが「好き」ってことじゃないんだなぁと当たり前のことを気づかせてくれる。

 そよと大沢くんはじめ登場する人々はみな何か欠点があり、時々爆笑してしまうくらいおかしくて、愛しい。彼のジャケットをなぜか欲しくてたまらなくなったり、ほかの女の子の影がちらつく彼が急に面倒になったり。いつか忘れてしまうような他愛もない出来事を積み重ねて、一歩ずつ「好き」は深まっていく。

 風の音。海の匂い。夏の空気。ページをめくるだけで魔法のように五感が刺激される気持ちのいいマンガだ。全部特別ななにげない毎日が、マンガの中に封じ込められている。こんな風にさらっと世界への愛を描いてしまうくらもちふさこは、やっぱり唯一無二の存在だと思うのだ。