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ユーモアと恐怖が背中合わせ

池上冬樹が薦める文庫この新刊!

  1. 錆びた滑車』 若竹七海著 文春文庫 864円
  2. 『抱擁 この世でいちばん冴えたやりかた』 辻原登著 小学館文庫 853円
  3. 『空にみずうみ』 佐伯一麦著 中公文庫 1037円

 (1)は、ミステリー・ベストテンの常連、女探偵葉村晶シリーズの最新作である。交通事故の背景を探っていくうちに隠蔽(いんぺい)された過去と複雑な人間模様が浮かび上がり、思いがけない悪意と動機があらわになる。サスペンスを盛り上げる私生活の脇筋の綾(あや)、それとユーモアと恐怖が背中合わせのラストの展開が見事。とくに終盤の真犯人へと至る過程がスリリングだ。今年もベストテン上位は確実か。

 (2)は、ゴシック小説『抱擁』と男と女の奇妙な関係を見据えた短編集『この世でいちばん冴(さ)えたやりかた』(『約束よ』改題)の二冊を合本にした初文庫化作品。前者は二・二六事件の翌年、東京駒場の前田侯爵邸で起こる謎めいた事件を語るもので、後者は谷崎潤一郎賞受賞作『遊動亭円木』の外伝三編など計七作を収める。
 前者はヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』のパスティーシュであるが(詳細は『東京大学で世界文学を学ぶ』参照)、緊張感に富む濃密なホラーとしての仕上がりもいい(ラスト一行が特に)。後者は性的な匂いにとりつかれた夫婦の物語「約束よ」、悲しい過去と美しい肌をもつ娘の悲劇「かな女への牡丹(ぼたん)」、性に耽溺(たんでき)する妻を見つめる「河間女」が印象深い。愛に迷い欲望に囚(とら)われる男女の肖像を実に官能的に艶(あで)やかに捉えているし、『抱擁』もそうだが、緻密(ちみつ)な構成と巧みなストーリーテリングでたっぷりと読ませる。

 (3)は、作家と染色家の妻の物語で丹念に夫婦の日常が綴(つづ)られている。めざましいのは福原麟太郎、内田百閒、ルナール、伊東静雄などの文章を引用して、日常の時間と風景を切り取り、内面化して、見るもの聞くものを新たにする(生き方の更新をはかっている)点だ。東日本大震災、地震、仮設住宅などの言葉は出てこないが、人々の生活が「あの日」から変わったことがさりげなく語られる点も胸に迫る。大いなる災厄のあと死者を思いやりながら人はどう生きるべきかを真摯(しんし)に訴えているからである。国をこえ、人種をこえ、たえまない戦争と災厄の中で読まれうる傑作だ。(文芸評論家)=朝日新聞2018年8月18日掲載