1. HOME
  2. インタビュー
  3. 迷宮思わせる幻想文学の大伽藍 倉数茂さん「名もなき王国」

迷宮思わせる幻想文学の大伽藍 倉数茂さん「名もなき王国」

文:篠藤ゆり、写真:松嶋愛

――〝著者〟の私と、私の友人で三十代の作家・澤田瞬、その伯母である老小説家の沢渡晶。作中、三人の作家の作品が入れ子となり、全体として壮大な大伽藍のような作品となっています。かなり複雑で、まるで迷宮のような作品ですが、最初から全体の構造を構想して書き始めたのでしょうか。

 実はいくつかの短編を書いて編集者に見せたところ、すごく面白いけれど、短編を並べるだけではなく何かそこに大きな枠を作ってみたらどうか、という意見をいただいて。いろいろ考えるうちに、どんどん凝りに凝ってしまい、枠が増殖して複雑な話になっていきました。いわば小さないくつかの小屋が、気づいたら巨大な迷宮になっていた、という感じです。

――複雑な構造の作品にすることで、わかりにくくなるという不安はありませんでしたか?

 もともと迷宮的な作品に対する憧れがあります。どうしたら読者を複雑に分岐した世界にさまよわせることができるのか。それは、作家の夢でもあると思うんです。
とはいえ正直、少し不安でした。自分はいったい、何をしているんだろう。もっとストレートに書いたほうが、自分のためにも人のためにもなるんじゃないか、と(笑)。でも書いているうちにどんどん新しいアイデアが湧いてくるし、複雑化して書いていくことが面白くてしょうがない。

 ただ、そうすると、いろいろなところを調整しないと整合性がなくなる。ひとつ新しい物語を増やすと、それに合わせるために、前もいじらなくてはならなくなりますから。さらに、まだ書いていない構想中の部分を考えているうちに、だんだん頭がおかしくなりそうで(笑)。構想期間も含めると、書き上げるのに5年費やしました。

――作品の冒頭、「これは物語という病(やまい)に憑(つ)かれた人間たちの物語である」とあります。これはそのまま、倉数さん自身に置き換えられるかもしれませんね。

 確かにそうかもしれません。私は小説を書き出したのが遅く、30代後半でしたが、周囲からは今更何を、と言われました。デビューなんかできるわけない、と思われてたんですね。今も日本文学の研究者と二束のわらじをはいていますが、研究者として業績を積み上げていったほうが、生き方としては堅実です。この『名もなき王国』も5年かかっていますから、時給計算すると限りなく低い(笑)。でも、自分が物語を生み出しているという、なにものにも代えがたい喜びがあります。

 振り返ってみると、初めて〝物語〟を書いたのは小学校の4年か5年生のときです。教科書に島の地図が出ていて、それをもとに何かお話を作ってきなさいという夏休みの宿題があって――自分と友人が悪漢にさらわれて島に漂流する話を書き始めたら、すっかり夢中になり、気づいたらノート1冊分になっていた。夏休み明けに提出したら、これを全部読むのか、みたいな雰囲気で先生がいや~な顔をしたのをよく覚えています(笑)。

 20歳くらいの頃は詩を書いていましたが、小説は敬遠していました。何を書いたらいいかわからないし、そもそも自分に書くべきものがあるのだろうかと懐疑的だったのです。その後、就職して働いているうちに、このまま勤め人として生きていくときっと将来、後悔するだろうなと思って。文学をもっと知りたいという気持ちから、5年で勤めをやめて大学院に入り、研究者を目指しました。博士論文に時間がかかり、書き終えたのは38歳。ワンステップ終えて、次に何をしようかと思ったとき、子どもの頃からの夢だった小説をもうやってもいいだろうと思えたのです。

――序には「幻想文学という冥(くら)い鉱脈」という言葉があり、中井英夫、倉橋由美子、高橋たか子といった実在の作家の名前も出てきます。そこからも、幻想文学への並々ならぬ思いが感じられます。

 デビュー作の『黒揚羽の夏』は、ジュブナイル小説として書きました。でも、書き始めてみたら、自然と幻想的なものが出てきた。「あぁ、自分はこういうものが好きだったのか」と、書くことで気づきました。

 一方で、『黒揚羽の夏』は少年少女向けの小説にしては子どもらしくない、という評もありました。正直、自分としても、このままジュブナイル作家という位置づけでやっていくことに対する葛藤みたいなものもあった。そのため続編の『魔術師たちの秋』以降、なかなか本を出せませんでした。その間、『名もなき王国』に取り組んでいたわけです。

 幻想文学というのは、日本でも世界でも決して文学の主流ではありません。でも、自分は幻想文学が好きなんだと気づいて意識的に書きだしたのが、『名もなき王国』に入っている沢渡晶の小説です。自分が好きな内田百閒の短編や、夏目漱石の『夢十夜』みたいな路線で書いてみたいなと思ったら、すごく楽しく書けた。これでいけるんじゃないかと、手ごたえを感じました。

――デビュー作、三作目の『魔術師たちの秋』も含めて、廃鉱や朽ちかけた洋館、元病院だった建物などが出てきます。倉数さん自身、そういうものがお好きなのですか?

 普段、とくに廃墟巡りとかはしていませんが、ちょっと廃墟趣味みたいなものはあります。書いたときに出てくるのが、なぜか、時代から取り残されたようなものや人だったりする。そこに過去のいろいろな記憶が宿っているというのが、僕が書きたい世界なのかもしれません。

 セクシャルな面でも、性的なマジョリティの規範に合わず、こぼれてしまった人たちが繰り返し出てきます。そういうズレの中に、何か物語を感じるのでしょう。読んでくれた友人が「ゴシック的だ」と言っていましたが、なるほどと思いました。また、夢野久作や中井英夫など幻想文学の巨匠の名前を出してくれた人もおり、嬉しかったですね。

――今後も、このような路線で作品を書いていかれるのでしょうか。

 『名もなき王国』のなかには、夫婦の物語も出てきますし、私小説的な部分もあるし、哲学的議論も含まれている。普段自分が興味のあるありとあらゆるものをギュッと詰め込んだ、いわばおもちゃ箱のような作品です。この作品を書き上げたことによって、それぞれの要素を解きほぐして、いろいろな方向で書いていけるという確信を得ました。

 ただし『名もなき王国』には長篇小説は含まれていないので、ここまでややこしい話ではなく、すーっと筋が通った長篇小説も書いていきたい。それと、子ども向けの本も数年以内に書きたいと思っています。

 僕は小学生の頃、イギリスの児童文学作家アーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』やJ・R・R・トールキンの『指輪物語』を読んで〝物語〟の面白さに目覚めました。子どもたちのために、まだ見ぬ遠い世界へ連れていってくれるような、ワクワク感のある物語も書いてみたいですね。