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「跡を消す」前川ほまれさんインタビュー 特殊清掃を通じて描く「生と死」

文:志賀佳織、写真:松嶋愛

特殊清掃のすさまじさを取材

――「特殊清掃」というものの具体的な作業を、今作を読んで初めて知りました。あまりに生々しくリアリティのある描写に、著者はそのお仕事に就いている方なのかなと思ったほどです。

  いいえ、そうではないんです(笑)。ただ今回の作品を書くにあたって、人の「生死」という誰にとっても見過ごせない普遍的なテーマに向き合ってみたいなという思いがありました。最初は葬儀屋さんを舞台にしようと思ったのですが、何ページか書いてみたものの、どうも自分の中でしっくり来るものがない。説得力に欠けるような気がしたんです。そんなとき、たまたまテレビのノンフィクション番組などで取り上げられている映像を見て、この特殊清掃という仕事に行き当たったんです。そこから参考文献を読んだり、実際にいろいろな会社に直接連絡して細かいところについては聞いて取材したりしました。

――それにしても、ご遺体が回収された後の「特殊清掃」の現場がこれほどまでにすさまじい状況になっているとは、一般的にはなかなか知られていないでしょうね。主人公の浅井航が初めて現場に足を踏み入れて耐えられずに吐いてしまう場面などは、こちらも身を固くして読んでしまいました。

 そうですね。発見されるまでに時間がかかっていたりすると、より状況は厳しくなるようです。鼻をもぎ取りたくなるような異臭に加えて、その腐敗臭に誘われて蠅が死体に卵を産みつけにくるので、部屋の床には大量の蠅の死骸が転がっていたり、遺品に蛆虫がびっしり張りついていたり。ご遺体のあった敷布団には、人間が溶けて流れ出た体液が腐敗して人の形に黒い染みを残し、さらに布団を通して床や床下まで浸透する……なんていうことも、調べている中で知りました。

生きるとは何か、死ぬとは何か

――「生と死」について書こうと思った直接的な動機はあるのでしょうか。

 実は少し前に身内に不幸がありまして……。そのときに、何か自分の中では、ただ「悲しい」というだけではない、モヤモヤした言い尽くせない気持ちが生まれたんです。死を素直に受け入れられないし、どう受け止めたらいいのかわからない。それまでも人の死に接することはありましたが、ここまで我がこととしては受け止められませんでした。以来、「生きる」とは何だろう、「死ぬ」とは何だろうという思いを、より深く抱えるようになったのです。そこが出発点です。

――作品は五章に分かれていて、一章ごとにさまざまな「死」が描かれます。高齢者の孤立死、若者の自死、同居の兄にその死を2週間気づいてもらえなかった弟、母子心中。でも、死を描けば描くほど、その人たちの「生」や生活の様子が浮かび上がってくるのだということにも気づきますね。

 そうですね。出発点はもちろん「生きる」ってなんだろう、「死ぬ」ってなんだろうということだったのですが、書き進めていくうちに、大きなテーマをそのまま描こうとするよりも、それぞれの生活をしっかり描写していくことが大事だと気づきました。そのことにより、「死」は決して日常から切り離されたものではなく、日々の暮らしの延長線上にあるものだということを伝えられるのではないかと考えたからです。

 日本では「死」はどうしてもネガティブなイメージで語られることが多いですよね。ところが、たまたまインドの方とお話をすることがあったので聞いてみたら、「インドでは人が亡くなったときに踊るんだよ」というんです。一人から聞いただけの話なので、エビデンスがあるわけではないのですが(笑)、そうした文化もあるのだとしたら、日本との違いを感じますよね。そういう死の迎え入れ方もあるのだなと改めて気づかされました。

 僕は宮城県の出身なので、東日本大震災で友人など身近な人たちを亡くしたりもしています。そしてやはりいつも疑問に思うんです。いろいろなケースがありますから一概には言えませんが、「亡くなった」ことで、その人のすべてを「悲しい」ものとして塗りつぶしてしまうのはどうなのだろうと。どの人生にも、きっと楽しい時間も幸せなできごともあったと思います。それをまっとうしたのだから、「踊る」までは行かなくても、もっと肯定的に捉えることをしてもいいのではないかなと。

読者に自分の人生を愛おしんでほしい

――物語も「死」から「再生」に向かうというか、終盤に向けて、気ままに生きてきた浅井、そして雇い主の笹川啓介にも変化が起こりますね。第五章で、なぜこの仕事を始めたのか、笹川が語るところは胸に響きます。

 笹川のメッセージは、この作品で一番僕が伝えたかったことでもあります。僕はジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』が愛読書なのですが、登場人物たちが悲惨な目にあっているのに、どこかでそれを受け入れつつ、それぞれの日々をすごしているところが好きなんですね。読んでいると悲しいけど可笑しくもある生がいきいきと描かれている。本書を読み終えた方にも、そんなふうに自分の人生を愛おしんでもらえたら嬉しいです。

――前川さんは、今、看護師のお仕事をされていますね。なぜ看護師を目指されたのですか。

 恥ずかしながら最初は、看護師になって誰かを救いたいとか、そういう大義名分があったわけではありません。実はもともと映画が大好きで、少しでも映画の現場にいられる仕事に就きたいと、高校卒業後上京して、スタイリストの見習いになりました。でもプロの世界は厳しくて、三年で挫折しました。次の仕事をどうしようかと考えたときに、助手として働きながら看護師の資格が取れる制度があることを知ったんです。将来的にその病院で働けば、学費を全額免除してもらえる、という点が、当時お金がなかった僕にはありがたくて、この道を選びました。

――若いときは、浅井並みの迷いや変遷があったのですね(笑)。

 そうですね(笑)。看護師になって6年目、もちろん仕事は厳しいし大変なこともありますが、周りの人たちに教えられたり助けられたりするなかで、やりがいを感じています。書き上げた今振り返ってみると、浅井は20代の自分で、笹川はライフステージの変化で成長することができた30代の自分なのかな、という感じはなんとなくあります。

「誰かのことを強く思う」ことが希望になる

──看護師さんというお仕事も作品には影響していますか。

 書いている間は関係ないと思っていたのですが、でも無意識のうちに反映していることはあるかもしれませんね。病を得た方たちと接していると、「この人の悩みや苦しみを完璧に理解することはどうやってもできないな」と無力感に苛まれることがよくあります。ただそう思いつつも、それでも何かを知ろう、この人のことを思おうとすること自体が希望につながるのかなとも思うんです。この作品でも「自分以外の誰かのことを強く思う」ということを、もう一つのテーマとして書いたつもりです。

――今作品で、第7回ポプラ社小説新人賞を受賞されて、作家デビューなさいました。今後はどんなテーマに取り組んでいきたいですか。

 今、一番気になっているのが、震災から7年経った現在の故郷の状態です。6月に久しぶりに実家に帰ったのですが、そのときに町の様子がかなり変わっていることに気づきました。外見だけは復興に近づいているけれど、調べてみたら、まだまだ問題は山積している。7年経ったけれども、外側の変化に人の気持ちが追いついていっていないというんでしょうか。

 たとえば配偶者を亡くした人が再婚しようとするのだけれども、相手はいてもどこか釈然としない気持ちをまだ抱えてしまっていたり、震災孤児になってしまった子どもたちの日々の暮らしだったり、震災を機に職場を失ってしまった人だったり、気持ちが置き去りにされているところがあるように思うんです。まだ具体的なテーマがあるわけではありませんが、いずれ、そのことには向き合わないといけないなと考えています。