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日米開戦、なぜ突き進んだ 牧野邦昭准教授が経済学的分析

牧野邦昭・摂南大准教授=田中圭祐撮影

 なぜ日本は米国と戦争をしたのか。軍人や政治家が不合理で愚かだったからだ――。一般的に広く共有されているこんな認識を、大きく揺さぶる本が現れた。『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書)。指導層が勝ち目の薄い戦争へ突っ込んでいった理由を、現代の経済理論を使って解き明かす。著者の牧野邦昭・摂南大学経済学部准教授に聞いた。
 戦前の指導層の愚かさを物語るエピソードとして取り上げられてきたのが、経済学者有沢広巳(ありさわひろみ)(1896~1988)の証言だ。開戦前年の1940年から有沢ら有力な経済学者は、陸軍の秋丸次朗中佐が組織した秋丸機関で米国や英国、ドイツ、ソ連の経済抗戦力を調べた。日本もドイツも生産力は頭打ちだが、米国は巨大な余力を持つという結果を秋丸中佐が陸軍首脳部に報告したところ、「(対米開戦という)国策に反する。書類はただちに焼却せよ」と命じられ、有沢の手元にも報告書は残らなかったという。
 焼却されたはずの報告書は、二十数年前から見つかり始めた。数種類あるが、一部は有沢が残した蔵書に含まれていた。牧野さんも古書店で販売されていた別の報告書を購入した。
 近代日本経済思想史を専攻し、『戦時下の経済学者』(中公叢書、石橋湛山賞)という著作で秋丸機関に言及した牧野さんは、さっそく報告書の内容を精査し、そのころの論壇で公表されていた論文と比較した。すると、謎が立ち上がった。
 「秋丸機関の報告書に書いてある内容が、当時の常識的な議論だったということです」

損失避けるため 高リスク選ぶ心理

 英国が船舶輸送に弱点を抱え、ドイツの国力が41年にピークを迎える一方で、米国には大きな経済力があるという論旨は総合雑誌などに出ており、検閲にも引っかかっていなかった。
 ならば日本の指導層は、海外の情勢も米国との国力の差も知ったうえで戦争を始めたことになる。一体どう説明すればいいのか。
 「現代にも通用する意思決定の問題なので、大まかでもいいから現代の人が理解できるロジックが必要」と考え、牧野さんが取り入れたのが行動経済学と社会心理学だ。
 近年急速に発展し、ノーベル経済学賞の受賞者が輩出する行動経済学によれば、損失の発生が予想できると人間は、合理的な選択よりもリスクの高い選択に傾きがちになる。当時の日本は、米国の石油禁輸で「ジリ貧」が想定されていた。それを避けるために選んだ高リスクの決断が、対米開戦だった。
 また、陸海軍と政府が入り乱れた戦前のような集団意思決定の状態だと、結論が極端になることが社会心理学で知られている。日本の指導層は「船頭多くして船山に登る」状況の中で、よりリスクの高い選択へと向かった、というのが牧野さんの分析だ。
 専門の経済思想史を飛び越えた議論だが、「一つの問題を掘り下げると、一つの分野だけで説明するのは無理が出てくる。いろいろ調べないと解けません」と話す。「そもそも経済はあらゆる分野に関わるので、経済学自体が越境する学問だと考えています」

複数の選択肢と将来のビジョン重要

 大胆な越境で導き出した結論は、恐ろしくもある。指導層が特に愚かというわけではないのに、不合理な結論に至ったとするのであれば、日本が再び同じような選択をする可能性はあるだろう。「それは念頭に置いて書きました。おそらくこれは普遍的な話で、いつでもどこでも起きうると思います」
 有沢たちが当時、開戦を止める報告書を書けなかったのかという可能性も探った。ここでも行動経済学を踏まえ、利得が予想できるとリスクを避けるという性向を利用して「石油がなくなっても米国と勝負できるポジティブなプラン」で時間を稼ぎ、米ソ冷戦開始を待つ案を考えた。
 「重要なのは、複数の選択肢を持つこと。それにはエビデンス(事実)だけでなく、将来へのビジョンが必要になる。経済学はビジョンを打ち出す学問でもあるんです」
 ギリギリの状況で立てた選択肢に賛同を得て、実現させるには何が必要か。破滅を繰り返さぬために、示唆されたものは少なくない。(編集委員・村山正司)=朝日新聞2018年9月5日掲載