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斎藤潤一郎「死都調布」 予定調和から解放され自由に

『死都調布』 [著]斎藤潤一郎

 先日、ある事件に関してインタビューを受けている男性の映像を観(み)た。状況は深刻だったが、男性は笑顔だった。直後、ネット上には「そこで笑顔が出るのはおかしい」「不謹慎だ」といった声が散見され、違和感を覚えた。
 「○○な時は××な表情または態度」。もちろん表現の世界では、それが有効に働くことも多い。しかし、本作に登場する人物の表情から「なぜ、そうしたか?」は簡単には読みとれない。犬を角材で打つ老人に編集者の耳を撃ちぬく作家。日常の営みと並列して描かれた暴力や不穏な状況の説明もない。とはいえ、削(そ)ぎ落とされた会話は心地よいリズムを刻み、やがて物語世界への没入を誘う。予定調和から解放された読み手の精神は、荒野を自由に舞う鳥のように作品世界をたゆたうことができる。それは、頭で理解するより先にくる、めくるめく体験だ。
 均質で乾いた線も魅力的で、1コマ1コマに絵としての存在感がある。本書が纏(まと)う無国籍感は、それと無関係ではないだろう。作中に登場する電話は携帯ではなく昔懐かしの黒電話だ。時代を限定させない作品ながら、本作には同時代性もある。いま求められる表現という意味で。山脇麻生(ライター)=朝日新聞2018年9月8日掲載