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家族と憲法24条 国家の「干渉好き」に枠はめる

血縁はなくても親子になった。家族には様々な形がある

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基(もとづ)いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 家族をめぐる、教師と学生のある会話――
 教師「家族みな仲良くするのはいいことなんだろうね」
 学生「もちろんいいに決まっていますよ」
 教師「では、その家族仲良くというやつを憲法に書き込むのはどうだい」
 学生「(一瞬ためらって)いいんじゃないですか」
     ◇
 国家がなすべきこと、なすべからざることには限界がある。この限界が狭められると国の自律性が損なわれ、広げ過ぎると国は人々の生活に土足で足を踏み入れ始めるだろう。この限界をどこに置くかは「立法上の最も微妙な問題の一つ」、というのはエドマンド・バークの言葉である。今日の立憲民主制の下では、国家に枠をはめる主要な要因が基本的権利としての人権であることはいうまでもない。

個人主義を批判

 いま政権が日程に上せようとしている憲法改正案に対し、批判は9条改憲と緊急事態条項に集中しがちである。だが、24条改憲も現行憲法に対する革命的意味をもつ点では、前の二つに劣らない。『国家がなぜ家族に干渉するのか』の若尾典子論文で指摘されているように、24条改憲は自主憲法制定を党是とする自民党の結党以来の悲願であった。個人の尊厳が家族の解体を招くという批判は今日にいたるまで、改憲運動の底流を流れている。改憲草案24条に新設された、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条項は、その集約的表現である。
 自民党は現行憲法の個人主義が家族を解体させるという。では新条項を設けることによって解体が防げるのか。むろんそんなことはない。個人主義が家族を解体させているという証拠はないし、解体の事実さえはっきりしない。24条改憲は家族解体を防ぐのではなく、あるべき家族を作り上げることを目的とし、この目的のために家族に介入しようとするのだ。

自由にダメージ

 清沢洌(きよし)は『暗黒日記』の中で、日本人の干渉好きは思想的なものに対してだと記している。電車の中で重い鞄(かばん)を網棚に上げようとしても誰も助けようとしない。これに対し、英米人の干渉嫌いは思想的なものに対してであって、困っている人を見たら必ずヘルプしようとする。
 日本人の干渉好きは国家についてもいえそうである。赤ちゃんは母乳で育てよ。3歳までは母親は子供に密着せよ。礼儀正しく。大学は実用的な学問に専念せよ。国を守る気概をもて。和を尊ぶべし。まるで、国家の家長が、押し頂く国家像のために家訓を定め、国民に訓示を垂れているようだ。
 最初の教師と学生の会話に戻ろう。家族仲良くという道徳的規定は、いかにそれがいいことであっても、憲法に書き込んではならない。なぜなら、書き込むだけでは実効性をもたないから、国は関連法規を次々に新設し、家庭に対し、あるいは教育の現場で、介入の網を広げていくだろう(中里見博ほか著『右派はなぜ家族に介入したがるのか』〈大月書店・1728円〉所収の、打越さく良論文に具体例が示されている)。しかもこの介入は思想的教化という形を取るであろう。
 ハイエクは道徳的規定のような「……をなせ」という形式の法を命令の法といい、命令の法が人々の自由に致命的なダメージを与えることを力説している(例えば『市場・知識・自由』第8章など)。この法は自由主義の「法の支配」を「人の支配」に変質させる。自由主義の対立概念が全体主義だという彼の定義に従えば、現在の日本はすでに全体主義に足を踏み入れているといえるだろう。=朝日新聞2018年9月8日掲載