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お昼の味が俳優の顔を変える 鴻上尚史

 食のエッセーを書いたことはないけれど、美味(おい)しいものを食べれば嬉(うれ)しいし、不味(まず)いものを食べれば哀(かな)しくなります。
 昔、大林宣彦監督の『水の旅人』という映画のメイキングを撮りました。大林監督と親しくなって話すうちに、大林監督はとても美食家だと分かってきました。大林監督は言いました。
 「僕はね、助監督が紹介するお店に入って不味かったら、その人間を信用しないようにしてるんです。食に対して鈍感な人間は、表現に対しても鈍感です。面白い映画なんか創れるはずがないんです」
 福岡にロケに行って、大林監督から「鴻上さん、お薦めのお店はありますか?」と聞かれて鳥肌が立ちました。必死になって、福岡で美味しいお店を探しました。
 選んだ水炊きの味に、大林監督は納得して下さってホッとしました。
 大林監督はよく「お昼の弁当の味が午後の俳優の顔を変えるんです。いい顔してるなあと感動していたら、その理由が、お弁当が美味しかったなんてことがあるんです」と言いました。
 それぐらい、食べ物が大切なんだと力説したのです。
 前回書いたように、通常、映画や演劇の現場では、仕出しのお弁当が出ます。
 予算のある現場だと、これに温かい味噌汁やスープがつきます。さらに余裕があると、制作の人がシチューを手作りしたりします。
 大林監督の現場では、制作助手の通称、三平さんがホワイトシチューを作りました。これが絶品の味で、シチューが出ると分かった日は、本当に心がウキウキしました。
 あんまり美味しかったので、「本当に美味しいですよね」と言うと、三平さんは「そんなこと言ってくれるのは、鴻上さんぐらいですよ」と嬉しそうに微笑みました。
 美味しい時は美味しいと言うのは、本当に大切なことなのになあと、三平さんの顔を見ながらしみじみしました。
 三平さんからは、食事の苦労話を聞きました。
 ある時、頼んでいた弁当屋さんが手違いで弁当を届けなかったことがありました。三平さんは、大急ぎで、近くのファーストフードでハンバーガーを大量に買ってきました。
 高齢のスタッフは、ハンバーガーを渡された時に、「三平さん。私はあと何回食事できるか数えています。その一回を、こんなもので済ませるのは本当に哀しいです」と言ったそうです。それを聞いて、三平さんは泣きそうになりました。
 あなたは、あと何回、食べられるか、数えたことがありますか?=朝日新聞2018年9月8日掲載